20.激しい調教(1)

 田代屋敷の食堂で銀子と義子は遅い朝食を取りながら、昨夜のことを話し合っている。
「友子と直江はどうしている?」
「怪我は大したことはないけど、銀子姐さんの言い付けどおり今日は一日謹慎と言い渡したら、さすがに神妙にしてました」
「あの二人にはちっとはいい薬になるだろう」
 銀子はそう言うと義子と笑い合う。
「ところで昨夜はあの久美子って娘を、どこまで送っていったんだい?」
 歌舞伎町の店で飲んでから、銀子は悦子とともに迎えにきた森田組のチンピラが運転する車で友子と直江を連れて屋敷に戻り、義子にもう一台の車で久美子を送らせたのである。
「随分遠慮してましたけど、こっちが強引に薦めたら、それなら渋谷駅までってことで」
「駅前で降ろしたのかい? 随分中途半端だね」
「東急に乗れば一本で帰れるからっていってました。ところがちょっと気になったんで久美子を降ろした場所から車を少し動かして、しばらく様子を見ていたんですが、あの女、改めてタクシーを拾い直しましたで」
「タクシーを?」
 銀子は眉をしかめる。
「それで、どっちへ行ったんだい?」
「青山通りを六本木の方へ行きました」
「六本木か……」
「後をつけた方が良かったですかね?」
「いや、深追いは禁物だ」
 銀子は少し考えて首を振る。
「何か気になることでもありまっか? 銀子姐さん」
「別に何が特に疑わしいって訳じゃないが、京子の時と妙に似てるんだよ」
「ああ、そう言えば……」
 義子は頷く。
「あの時は、マリが愚連隊に襲われそうになっているところを偶然京子に助けられたんでしたっけ」
「それが京子が葉桜団に入団し、森田組に潜入するきっかけになったんだ」
 銀子は珈琲を飲み終えると煙草を口にくわえる。義子がすがさずライターを取り出し、火を点ける。
「まったくあの時は肝を冷やしたよ」
「確かに、腕っ節が強いところなんかは京子そっくりでんな。でも、これだけ似てるっていうのはかえって偶然の一致という証拠やないでっか」
「うーん」
 銀子は考え込む。
「久美子がもし京子と同じように、山崎や他の探偵のイヌだったとしたら、またあの店に現れるはずだ。義子、お前はマスターに連絡して、久美子が店に現れたらすぐに知らせるようにいうんだ」
「わかりました」
 義子がそう答えた時、食堂にマリが入ってくる。
「義子、ここにいたのかい。朱美姐さんと私だけで手が足らなくて困っているんだ。手伝っておくれよ」
「いったい何が始まるんや」
「決まってるじゃないか。小夜子と文夫の調教だよ」
「ほい、すっかり忘れてた」
 銀子と義子は立ち上がると、調教室に向かう。
「友子と直江を謹慎させているもんだから、調教する側の手が足らなくなったんだね。シスターボーイの二人はどうしているんだい?」
「相変わらず京子の調教です。今日から美津子と本格的なコンビを組ませるそうですよ」
「鬼源は?」
「珠江の調教に入ります。静子夫人の跡を埋めるために花電車なんかを仕込まなきゃいけないってはりきっていましたよ」
「美沙江と桂子はどうしている?」
「友子と直江に担当させて、とりあえずレズビアンプレイでも仕込ませようと思っていたんですが、昨日のことがあったんで……」
「そうか、確かに責め手がそろそろ足らないね。これ以上奴隷が増えたら大変だ」
 銀子、義子、マリの3人はようやく調教室に到着する。扉を開けるやいなや、朱美の鋭い声が響いてくる。
「さあ、実際にポルノショーを演じるつもりでやるのよ。要領はわかってるわね」
 調教室の中央では全裸の身を堅く縛り上げられた小夜子と文夫が、両肢を開いた人の字型の姿を並べている。
 その前には観客役の悦子が座り、深窓に生まれ育った姉弟の惨めな転落の姿に複雑な視線を注いでいる。
 朱美に命令された小夜子が唇を震わせながら、教え込まれた屈辱的な口上を述べはじめる。
「み、皆様、ようこそおいでくださいました。私、村瀬小夜子と申します。年令は、22歳。隣におりますのは弟の文夫でございます。年令は18歳」
「もっと大きな声で!」
 朱美の怒声が飛ぶ。小夜子は「は、はいっ!」と大きな声で答える。
「私たち姉弟は、四谷のある宝石店を経営する父の庇護の下、贅沢三昧の暮らしを送ってまいりましたが、このたび心境の変化を来たし、森田組の皆様のご支援のにより、姉弟でじ、実演ポルノショーのコンビとして再出発することとなりました」
「私たち姉弟は、今までの生活も、着るものも全てを捨て、また一切の財産も失い、一切れの布さえ許されぬ、せ、性の奴隷でございます」
 小夜子がさすがに涙で言葉を詰まらせると、朱美が青竹で小夜子の形の良いヒップをひっぱたく。
「ううっ!」
「もたもたしないで続けるのよっ」
 朱美はそう怒鳴りつけると、悦子に目を向ける。
「悦子、お前もそこで黙ってすわってちゃ駄目じゃないか。ショーの観客役をやってるんだから、この姉弟をからかうなり、野次を飛ばすなりして雰囲気を盛り上げてくれよ」
「……はい」
 悦子は固い声音で答える。
「もう、調子狂っちゃうね」
 朱美がぼやいた時、義子が「朱美姐さん、観客役ならまかせといて」と声を上げる。
「随分遅かったじゃないか、義子」
「すんません。昨日色々あったもんで」
「ああ、悦子から聞いているよ」
 朱美は微笑して頷く。調教室に入って来た銀子が朱美に近づく。
「朱美、御苦労さん。手伝うよ」
「銀子姐さん、すみません」
 銀子は青竹を手に取ると、小夜子と文夫の尻を順にパシッと叩き、「さ、続けるんだ」と声をかける。
「は、はいっ」
 小夜子は涙声で、強制された屈辱的な挨拶を続ける。

19.新宿歌舞伎町(3)

 その後友子と直江を奥のボックス席に寝かせたまま、銀子、義子、悦子、そして久美子でちょっとした酒盛りになった。銀子がマスターに話を付けて店を貸切りにしたらしく、他の客は入ってこない。
酒が回るにつれて座は賑やかになって行く。義子という大阪弁の娘が盛り上げ役のようで、陽気に冗談を飛ばしては皆を笑わせる。その中でひとり浮かぬ顔をしていた悦子に銀子が声をかける。
「悦子、どうしたんだい。相変わらず暗いじゃないか」
「いえ……」
悦子は首を振る。
「あたいがついていたのに揉め事を起こしてしまって、結局友子さんと直江さんが怪我をすることになったんで……」
「ああ、それはもう気にしないでいいよ。この二人を外に出したらこういうことが起こるかもしれないってことを考えておくべきだったんだ。二人とも悦子の言うことなんか聞かないだろうからね。悦子には荷が重過ぎたってことさ」
銀子はそう言うとグラスのビールを飲み干す。
「それに、ふさぎこんでいる悦子の気分を変えてやろうとも思ったんだが、それが裏目に出たってわけさ」
「銀子姐さん……」
「そんな話をしたって久美ちゃんには何のことかさっぱりわからんで」
すでに顔を赤くしている義子が、怪訝な表情で銀子と悦子の会話を聞いている久美子をちらと見て笑う。
「久美ちゃん、ようするに悦子の大事な人が、手のとどかんところへ行ってしまったってわけや」
「義子」
悦子が義子を遮ろうとしたが、義子はかまわず「つまり、悦子は失恋してふさぎこんでいるってわけや」と続ける。
「義子、口が軽すぎるよ」
銀子がたしなめるが、義子はかまわず話し続ける。
「銀子姐さんも内心はショックなんやないか。あの奥さんが妊娠することになるなんて」
「いい加減にしな、義子!」
そこで義子はさすがにまずいと思ったのか、急に口をつぐむ。
(奥さん、奥さんって誰? 妊娠することになったってどういうこと?)
久美子の頭の中で疑問が駆け巡る。
「気にしないでって言っても気になるだろうね。まあ、久美ちゃんになら多少話してもいいだろう」
どんな表情をしたら良いのか迷っている久美子に、銀子が話しかける。
「あたいたち、以前はこの歌舞伎町でただたむろして遊んでいるだけのズベ公だったんだけど、しばらく前からある仕事を始めたんだ」
「仕事って、どんな?」
「そう、一種の斡旋業って言ったらいいのかな」
銀子は微妙な笑みを浮かべる。
「暇を持て余して刺激を求めているお金持ちの奥方やご令嬢を、ある屋敷で男に紹介する仕事さ。女の方は金に不自由している訳じゃないから、男が払う金はあたいたちがいただく。女の方はそこで求めていた刺激を得ることができ、男は普通ならとても無理な高嶺の花の素人女を抱くことが出来る。要するに全員が幸せになれるって訳だ」
「女を集めるのがあたいたちの役目、集めた素人女を商品になるように仕込んだり、女を抱く男を集めたりするのが森田組ってやくざの役目って訳や」
義子がニヤニヤ笑いながら補足する。久美子は銀子と義子の話を呆気に取られた表情で聞いている。
「それは……犯罪じゃないの?」
「なに、自由恋愛を仲介しているだけさ。これが犯罪なら仲人だって犯罪だよ」
銀子はそう言って笑う。
「女の方は金を受け取る訳じゃないから売春にはならない、実に安全な商売って訳さ」
「でも、まさかそんな女がいるはずが……」
「それがそうでもないんや」
義子が淫靡な笑みを浮かべながら話す。
「ある財閥の社長の後妻に入った素晴らしい深窓の奥様がいるんやけど、旦那はもう50歳を過ぎていてあっちの方はさっぱり。中途半端に開発された身体を毎夜持て余していたんやが、うちらがその屋敷に誘ったら悦んでやって来て、毎日充実した生活を送ってるで」
(静子夫人のことだわ)
久美子は緊張に表情を強ばらせる。
「その女は本当に自分の意志で、そんな行為に参加しているの?」
「もちろんや。信じられへんのなら、証拠を見せてやってもええで、銀子姐さん、ええかな?」
「いいよ」
銀子が頷くと、義子がポケットから小さな封筒を取り出す。
「見てご覧、久美ちゃん」
封筒に入っていた数枚の写真を目にした久美子は驚きに息を呑む。そこには素っ裸の美しい女が二人の男に絡み付かれ、悶え抜いている写真があった。
(これは……)
「びっくりした? これがその財閥の令夫人や」
義子は面白そうに久美子の顔を覗き込む。久美子も何度か週刊誌で見たその顔は、遠山静子のものに違いなかった。
二人の男の肉柱をさもいとおしげに両手で握り締めている姿、一人の男に抱かれながらもう一人の男の肉棒に口唇での奉仕を施している姿、そして二人の男に前後から責め立てられながら悦楽の咆哮を張り上げている姿――。
いずれの写真からもはっきりと読み取れるのは、男二人を受け入れている静子夫人の表情が決して苦痛や恥辱のみといったものではないことである。いまだ男を知らない久美子が見ても、夫人ははっきりと肉体の深奥から込み上げる快楽を訴えていたのである。
(いったいどういうことなの?)
「久美ちゃんにはちょっと刺激が強すぎたかしら?」
混乱している久美子を興味深げに眺めていた銀子が声をかける。
「ひょっとして久美ちゃんって、男を知らないの?」
「えっ……」
思い掛けぬことを聞かれた久美子は一瞬言葉に詰まる。
「そ、そんなことないわよ」
「隠すことはないで。銀子姐さんは処女かどうかはちょっと見ただけでわかるんや」
「久美ちゃんみたいに強い女にはありがちなことなのよ。ほら……」
銀子は意味ありげな笑いを浮かべながら義子に同意を求めると、義子は「そやな」と笑う。
「それで、妊娠したって言うのは?」
久美子は不吉な予感に襲われながら尋ねる。
「ああ……」
銀子は口元に笑みを浮かべると「その写真の奥様のことよ」と答える。
「えっ……」
久美子は心臓が止まりそうな驚きを覚える。
(静子夫人が? 静子夫人が妊娠? いったいどういうことなの?)
「ど、どうして妊娠なんか――。いったい誰の子を妊娠したの?」
「そりゃあ男と女がやることをやっていたらいずれは妊娠するやろ」
「で、でも、ご主人がいるのでしょう? どうして避妊しなかったの?」
「そんなことすると気持ち良くないじゃない。セックスは生でやるのが一番よ」
そんなこと言っても久美ちゃんにはぴんと来ないか、と銀子と義子が笑い合う。
「女にとって子供を生むことは幸福の一つなのよ。この奥さんのご主人はもうかなりの年齢で、奥さんを孕ませることが出来たかどうか極めて疑問だわ。その意味ではこの奥さんは屋敷にきて初めて女としての悦びを得ることが出来たのよ」
そこまで言うと銀子は声を低くする。
「もう一つ教えて上げるわ。この奥さんはセックスの時は避妊はしなかったけれど、実はなかなか妊娠しなかったのよ。それで奥さんの希望を叶えて、人工授精を受けさせて上げたの」
「人工授精ですって?」
銀子のとんでもない言葉を、久美子は信じられないような思いで聞いている。ふと見ると悦子は硬い表情のまま俯き、握り締めた拳を小刻みに震わせているのだった。

『ニュータウンの奴隷家族』連載再開のこと

今週から連載を再開しました『ニュータウンの奴隷家族』ですが、当サイトが有料化された2003年の12月に掲載を開始したものです。

再開にあたって読み返したのですが、結構良いなと思える部分と、あちゃーと思ったところがありました。

面白いなと思った部分はテンポの速さです。特にヒロインの小椋裕子の仲間である四人のPTA役員が一気に罠に落ちる場面は我ながらなかなかのものかと思いました。

最近、年齢のせいかテンポが遅いというか、悪くなってきたような気がします。『ニュータウン』のような登場人物の多い作品ではテンポよく進めないと読んでいるほうもだるいので気をつけなければ。

あちゃーと思ったのは時事ネタですね。この作品は現代を舞台に書いていたので、深く考えずにTVの番組名とか、女優の名前とか入れちゃったんですが、連載開始から13年以上たってしまったらダメですね。今読んでいる人に通じません。

ここに掲載したイラストは第1回のものです。これも今となったらかなり古いですね。

今回再開するにあたっては、基本の時間軸は連載当初に合わせます。スマートフォンはまだ日本には導入されていません。そのつもりでお読みいただければと思います。

『虜』完結、来週から『ニュータウンの奴隷家族』連載再開します

 約一年間にわたって連載しました『虜』、何とか無事に完結しました。
 いつも、ヒロインの数がやたらと多くて拡散しがちなんですが、今回は絵梨子一人に絞りました(途中、絵梨子の姉か妹を登場させようかという誘惑に駆られたんですが、なんとかしのぎました)。
 連載回数はちょうど100回です。いつも、一回あたり一行40字のエディタで一回が四百字詰め原稿用紙で九枚弱といったところですから、厚めの文庫本二冊分といったところです。白川の作品の中では長い方ではありませんが、今の出版事情ではなかなかこういった長い作品は出せないようなので、これもウェブの良さかなと思います。
『虜』は寝取られものでもあり、SM的な要素もあるのですが、知性も道徳心も備わった女性が「自然に」堕ちていく過程に出来るだけこだわりました。こういうシチュエーションなら浮気してもしょうがないかなという、ぎりぎり感情移入出来る線をねらったのですが、上手くいったでしょうか。
 絵梨子が堕ちていく過程で大手のAVに出演していますが、このAV業者が暴力団に関わっているわけではありません。大手のAV業者はちゃんとしていると思いますし、クイーンの撮影シーンもそういう前提で書いています。
 AVといえば最近は綺麗な女優が出演するようになりましたし、画像も鮮明です。ただ、ドラマ仕立てのものは脚本は使い回しですし、お芝居は完全な素人で観るのが辛いものが大半です。昔のロマンポルノ位の水準のものが観られないかと思うのですが、巡り会うことがありません。
 良質なドラマが無理なら、いわばドキュメンタリーのようなものは望めないだろうかというのが『虜』の発想です。もっとも、本当にこんなことをやると犯罪ですが。
 さて、ヒロインが一人きりの『虜』が終了したところで、来週からは真逆といって良い『ニュータウンの奴隷家族』が5年10か月ぶりの連載再開です。再開の要望がもっとも多い作品なので、気合を入れて書いていきたいと思います。ご期待ください。

18.新宿歌舞伎町(2)

 友子と直江を引きずりながら雑居ビルの地下にある暗い酒場に逃げ込んだ後、悦子は店の電話を使って誰かに連絡した後、マスターに救急箱を借りる。
 久美子の手伝いを借りて、友子と直江の怪我の手当を手早く済ませた悦子は改めて久美子に礼を言う。
「助けてくれてどうもありがとう、あんたが現れなかったら大変なことになっていたよ」
 深々と頭を下げる悦子に久美子は「いいんだよ」と首を振る。
(この場は出来るだけ相手に親近感をもたせるために、蓮っ葉な態度をとった方が良い)
 そう直感した久美子は、ぐったりして椅子に沈み込むように座っている友子と直江に向かって顎をしゃくる。
「こいつら、大丈夫かい?」
「ああ……」
 悦子は「あいつらに殴られたからじゃなくて、酔っ払ったからこうなっているんだ。心配しないでいいよ」と苦笑する。
「あたい、悦子っていうんだ。本当に今日は助かったよ」
「困った時はお互い様さ」
 久美子は首を振る。
「あたしは久美子」
「久美子さんか。あんた、すごく強いね。あれ、柔道だろ?」
「ほんの真似事だよ」
「そんなことないよ、男二人をあっという間にぶっとばして、大したもんさ。あんなに強い女は久しぶりに見たよ」
 悦子は感心したようにしきりに頷く。
「この子たち、あんたの仲間かい?」
「仲間っていうか、最近グループに入ったんだけれど、東京に出て来たばかりでこっちのやり方に色々慣れていないみたいなんだ。それで面倒を起こさないようについておくように言われてたんだけど……駄目だね、あたいって」
 そう言って悦子は肩をすくめる。
(この娘が本当に遠山夫人や村瀬家の令嬢の誘拐にかかわっているのかしら)
 悦子の少女っぽい仕草を見た久美子の頭にそんな疑問が浮かぶ。
「そういえば二人とも関西弁をしゃべっていたけれど、大阪から来たのかい?」
「いや、京都だよ」
「京都?」
(確か千原流は京都の華道の家元。そういえば最近、千原家の若い女中が二人、同時に辞めたと聞いた)
「うん、でもこっちには大阪も京都もわからないや。ただ、京都の言葉ってのはもうちょっと品があるもんだと思っていたけれどね」
 そこまでしゃべった悦子は急に口をつぐむ。
(しゃべりすぎたと思っているのか)
 そんなことを考えている久美子に、悦子がほほ笑みながら話しかける。
「久美子さんっていったね。何かお礼がしたいんだけど、何がいいかな」
「困った時はお互い様、って言っただろう」
「それじゃああたいが姐さんに叱られるよ」
「姐さん?」
 久美子が聞き返した時、酒場の扉が開き、二人の女が入ってくる。黒い長髪を無造作に垂らした女が悦子を見るなり声を上げる。
「悦子、お前がついていながらなんてことだい。あれほど目立つ真似はするなって言っただろう」
「すみません、銀子姐さん」
 悦子は立ち上がると銀子と呼ばれた女にぺこぺこと頭を下げる。
「あーあ、ベロベロに飲んでしもて」
 もう一人の女が改めて酔いが回ったのか、椅子の上で眠りこけている友子と直江をちらと見ると、呆れたように手を広げる。
「こんな迂闊な連中を、葉桜団の幹部にしてええんでっか? 銀子姐さん」
「そうは言っても、この二人は森田組にとっては功労者で、大塚先生のお気に入りだからね」
 銀子はそう言いながらしばらく友子と直江を眺めていたが「でも、確かにそう言われてみたら、ちょっと考え直さないといけないかもしれないね」と首を振る。
 久美子に目を向けた銀子は「あんたが悦子たちを助けてくれたそうだね。どうも有り難う」と頭を下げる。
「いえ、大したことをした訳じゃありません」
「謙遜はなしだよ。悦子の話だと男二人を柔道で投げ飛ばしたそうじゃないか。まるで……」
 銀子はそこまで言うと口をつぐむ。
「銀子姐さん、あっちは柔道じゃなくて空手でっせ」
「余計なことを言わないで良いよ」
 義子の言葉に銀子は顔をしかめる。
(空手を使う女――京子さんのことだろうか)
 そんなことを考えていた久美子は、銀子が油断のない視線をこちらへ送って来ていることに気づく。
「あたいは銀子っていうんだ。こっちは義子」
「よろしゅう頼んまっさ」
 義子が愛想よく会釈をする。この義子という娘も関西出身だろうか。しかし、義子は直江たちとは違っていかにも大阪生まれという印象である。
「あたしは久美子です」
「久美子さんか、上の名前は?」
 銀子は探るような視線を久美子に向ける。
「言いたくなければ良いんだ。こっちだって名乗っていないしね」
「いえ……」
 久美子はほんの少しためらった後「小林、小林久美子です」と名乗る。
 山崎から明智、そして明智探偵の助手は小林少年という連想で咄嗟に思いついた名前だが、ありふれたものであるため銀子も特に疑いを見せない。久美子はほっと胸を撫で下ろす。
「悪いね。どうも最近用心深くなっちゃって」
 銀子はようやく笑みを浮かべる。
「何も考えないでこのあたりで馬鹿をやっていたころが懐かしいよ。といってもまだ何カ月も前のことじゃないんだけどね」
「何かあったんですか?」
 久美子がさりげなく問うが、銀子は苦笑して首を振る。
「なに、ちょっとした仕事に手を出してしまったらそれが思いがけず上手く行って、こっちが想像していた以上の大事になってしまった、ってわけなんだ。そうすると今度は失敗するのが怖くなっちゃって、表に出るのもびくびくする有り様さ」
「なんだか良くわかんないけど……やばい仕事ですか?」
「まあ、久美子さんには関係のないことだ。知らない方がいいよ」
 銀子は首を振る。
「今日は悦子たちを助けてくれたお礼だ。この店なら遠慮はいらないから一緒に飲んで行ってよ。お酒は嫌いかい?」
「いえ、大好きよ」
 久美子はそう答えると微笑する。