「それと、離婚するかしないかは俺達夫婦の問題だ。お前が口出しをするな」
「ごもっともです」
「それからさっきからのお前の関西弁も気に入らない。ふざけているのか」
「ふざけていません。私はもともと関西出身で、これが普通です。銀行でも関西弁で通しています」
「ビデオの中ではそうじゃなかったぞ」
「あれは……奥さんが標準語で話してくれと……」
妻がどうしてそんな希望を出すのでしょう。私は首をひねりましたが、今はそれどころではありません。
「とにかくお前はどうして責任を取らない。俺が妻と別れたら妻と一緒になるのが責任だろう」
私は本当は妻と離婚してからも春日とは一緒にはなって欲しくないのですが、自虐的になってわざとそういう聞き方をします。
「私は誰とも結婚しません。奥さんでなくても同じです。結婚したら必ず相手を不幸にします」
「何?」
私は春日の奇妙な言葉に混乱します。
「どういうことだ」
「私も結婚の経験はあるのですが、職場の女性に何度も手を出したことで、愛想を尽かした妻に出て行かれました。融資業務部というのは問題融資の期日管理や利払いの処理をしている部署で、銀行の中では裏方、日のあたる場所ではありません。私がこの年でそんな部署の次長に留まっているのは女で何度も失敗したのが原因です」
「……」
「やめよう、やめようと思うのですが、女ぐせの悪さは生まれつきのようで、やめられないのです。もう、病気のようなものです。だから結婚は諦めてますし、一人の女性を好きにならないようにしています」
「お前の身の上話を聞きたいんじゃない。とにかくこれから妻をどうするつもりだ」
「どうすることもありません。してしまったことを否定はしませんし、出来る限りの償いはします。それと、ご夫婦の問題であることは重々分かっていますが、奥さんとよく話をしてください。お願いします」
確かに春日はすべて非を認めているため、夫婦の問題を片付けないままこれ以上彼と話をしても仕様がありません。仕事を途中で抜けてきたこともあって、春日にはいったん帰ってもらうことにしました。
一人になった私は、何か当てが外れたような気持ちになっていました。妻と男に手酷く復讐してやると思っていたのが、春日の態度を見ているとまるで私が独り相撲を取っているような気がしてきたのです。
私は応接間のソファに深々と腰を下ろし、ぼんやりとしていました。このマンションにも暮らし始めて10年以上になります。購入した当時の、まだ幼い子供を抱いて真新しい部屋を順に巡った時の妻のうれしそうな顔を思い出します。
子供たちの入学式、入園式、お宮参り、始めてわが子を抱いた時のうれしさ。お産を終えた妻の安堵した表情。家族の歴史が時間を逆流するように私の脳裏に浮かんできました。
うっかり私はソファで寝込んでいたようです。外はもう夕方で薄暗くなっています。完全に目が醒め切れない私は珈琲をいれることにしました。
珈琲がポットの中に溜っていくのをぼんやり見ていたら、玄関のチャイムが鳴りました。子供達が学校から帰ってくるには随分早いなと思いながら玄関に向かうと、そこに荷物を持った妻が立っていました。例のお気に入りのグリーンのコートを着ています。
「明日まで帰らないのじゃなかったのか」
「両親に断って、あれからすぐに家を出ました。早くあなたにお話ししたくて。上がっても良いですか?」
私がうなずくと妻はブーツを脱いで上がって来ました。キッチンに入った妻は、珈琲が出来上がっているのに気づきました。
「珈琲、私もいただいても良いですか?」
またうっかり2人分つくってしまったようです。こんなところで意地悪をするのも大人気ないと思った私は「ああ」と返事をします。
ソーサーとカップを出して、2人分の珈琲を用意した妻はいきなりキッチンの床に土下座します。
「あなた、ごめんなさい。許してください」
私はいきなりの妻の振る舞いに驚きましたが、気を取り直して意地悪く聞きます。
「会ったらすぐに土下座をしろと春日から教えてもらったのか」
「違います。本当にごめんなさい」
「そんなことはやめろ。ポーズだけの詫びは見たくない」
私は冷たく言い放ちます。
「お前はもう身も心も春日に捧げているんだろう。奴も独身だからちょうど良い。別れてやるから一緒になれ。一生変態プレイで楽しませてくれるぞ」
「春日さんと一緒にはなりません」
「なぜだ? 旅行では春日の妻として振る舞ったんだろう。春日紀美子と宿帳にもサインしたんだよな。ごていねいに記念写真まで撮りやがって」
私は自分が放つ言葉にどんどん激高していきます。妻は土下座したまま私の罵声にじっと耐えています。
「お前みたいな淫乱な女を妻にしたのが間違いだった。すぐにこの家から出て行け。子供にもこのまま会わさん」
「あなた……」
じっと黙っていた妻が顔を上げ、口を開きました。
「あなたに一つだけ質問させてください」
「なんだ?」
妻の思い詰めたような表情に、私は思わず気圧されます。
「あなたは、結婚してから、私以外の女を抱いたことはありませんか?」
「えっ?」
私は予想もしていなかった質問に意表をつかれました。
「答えてください。私一人だけを守ってくれましたか?」
「それは……」
確かに一時、風俗にのめり込んで月に2度も3度も通ったことがあります。私は返事に詰まりました。
「風俗だから良いという考えですか? 春日さんは私にとっては風俗のようなものです」
「それとこれとは全然違う」
「どこが違うのです? 男の方はお金を払えば欲望を処理出来る場所があります。女にはそんな場所はありません」
「紀美子の場合は一人の相手、それも会社の上司だろう」
「あなたにも馴染みの女の人はいたでしょう」
「……」
私はぐっと押し黙ります。
「春日を愛しているんじゃないのか」
「愛していません。愛しているのはあなただけです」
「それじゃあどうして春日に抱かれた? 俺が風俗に通ったから、その仕返しだとでも言うのか」
「そうではありません」
妻はうつむいて涙を流し始めました。
「私は……寂しかった」