妻の涙がポタポタとテーブルの上に落ちます。私は何を言ったら良いか、言葉を失いました。
「寂しかったから春日に抱かれたのか」
「違います……あなたに、抱かれたかった」
風俗にのめり込んでいる間、それまでも疎遠気味だった妻とのセックスはますます少なくなりました。セックスレスといっても良い状態です。
しかし私はずっと妻はセックスに対して淡泊であり、それでも不満はないのだと思っていました。
「あなたが私の醜い姿を見たから、もう私とは一緒にはいられないという気持ちも分かります。今日はこのまま実家に戻ります」
妻は顔を上げると少し冷めた珈琲をすすりました。
「珈琲、ご馳走様でした。もう、この珈琲も最後になるのですね」
妻はそう言うと立ち上がり、玄関に向かうとそこにおいてあった荷物を持ち、深々とお辞儀をしました。
「長い間お世話になりました」
そのまま妻は家を出て、私一人が残されました。私は妻に何も声をかけることができませんでした。

しばらく私は放心状態のようになっていましたが、突然携帯電話がなりました。発信者は春日です。別れ際に今後の連絡のために番号を教え合ったのを思い出しました。
「春日です。奥さんと話は出来ましたか」
「あんたに心配してもらうことじゃない」
「すみません。ついさっき、泣きながら電話をかけて来はったので、気になって……」
「いまだに連絡を取り合っているのか、やはりあんたと妻は深くつながっているようだな」
春日は私の皮肉にもめげず、話し続けます。
「ご主人、ビデオと写真をご覧になったとおっしゃってましたが、メールも見られたんですか?」
「いや……」
メールはパスワードが解除出来なかったので見ていません。
「この際メールも見てください」
「お前たちの不倫のやりとりなんか見たくない」
「そうじゃないんです。いや、全然そうじゃない訳じゃなくて、いつ会うかの約束なんかも当然ありますが、ほとんどそうじゃないんです」
どういうことでしょう。春日が何を言いたいのかさっぱり分かりませんでした。
「いいですか、パスワードを言います。『xxxxlove』です。わかりましたか? 『xxxxlove』です」
春日はそう言うと電話を切りました。
xxxxというのは私の名前です。どうしてそんな言葉をパスワードにしているのでしょう。私は自分の部屋に向かい、PCの前に座るとバックアップしたメールソフトを起動させました。
パスワードを要求されたため、春日に言われた通りxxxxloveと入力しました。ロックは解除され、メーラーが立ち上がりました。
私は送信フォルダを開きました。最初の妻から春日へあてたメールは去年の2月のものです。メールの内容は私にとって驚くべきものでした。
妻は春日に対して、私が風俗にのめり込むようになったのが、自分が私の欲求に応えることが出来ない、性的に魅力のない女であることが原因であることを嘆いていました。特に処女喪失時の痛みが精神的外傷となって、どうしてもいわゆるオルガスムスを感じることが出来ないことが、妻としてはともかく、女として面白みがない存在になっていると訴えていました。
春日は妻のメールに対して、確かにそうかもしれないがそれは十分治療することが出来る。自分は実際に不感症に悩む人妻の治療をしたこともある。今はその人妻は旦那と幸せな性生活を送っているなどと返信していました。
このように書くといかにも妻の悩みに付け込んで、春日がたらし込もうとしているようで、実際それに続くメールを読んでいてもそう言ったところはあるのですが、妻からのメールは私との夫婦生活の悩みで満たされており、このままセックスがなくなって行くと、私の妻に対する愛も消えて行くのではないかという不安で一杯のようでした。
春日からの返信も妻に引き込まれるように真剣になっていきます。春日の結論は、このまま放っておいても良くなることはない。妻と私は本当の夫婦のセックスの良さに気づくことはないというものでした。
妻と春日が始めて関係を持ったのは4月始めです。関係を持ったその日、妻は延々と夫を裏切ったことについての悔恨を綴っています。春日がそれにやや閉口しながらも妻を必死でなだめる様子が伝わって来ます。
妻が始めて絶頂を感じたのは6月です。妻はその喜びもメールで伝えていますが、その大半は、これで私に満足してもらえる女になれたというものです。
春日はそれに対して、まだ安心しないほうが良い。男とはもっと複雑なものだとたしなめています。男の予想通り、妻が私と久しぶりにセックスをした昨年の7月、春日との行為で感じたエクスタシーを感じることが出来なかったとがっかりした妻のメールがあります。
その後、妻がパニックになったようなメールが続きます。6月の春日との行為でケジラミを移されたことが分かったのです。春日は妻との関係の傍ら、風俗にも通っていたようで、自分の不覚を平謝りに謝っています。ケジラミを私に移したかもしれないと恐慌に陥っている妻を、きっと風俗から移されたと考えるだろうと春日は必死に宥めています。さらに「ケジラミの治療」ということで悪乗りした7月15日の行為(春日の誕生日で妻が始めて剃毛され、さらにアヌスを責められた日です)のことを詫びるメールが続きます。
妻が弾けたような喜びのメールを春日に送ったのは、私との行為で始めてエクスタシーを感じた10月のことです。私の身体の上で女の悦びを極め、ともに絶頂を感じたこと、結婚以来始めて本当の夫婦だと感じた幸福を春日に伝え、これもすべて春日のおかげだと感謝しています。春日はやや苦笑しながらも妻を祝福し、自分から卒業する日も近いことを告げています。
妻の春日へのメールには、春日への愛を表すものは何一つありませんでした。そこにあるものは私に対する片思いに似た激しい愛情。私と身も心も一つになりたい、そのためなら何でもするという熱情だけでした。

12月4日から5日にかけての旅行はいわば妻の「卒業試験」だったようです。春日に開発され女として完全に自信を持った妻は、そのお礼としてさらに12月24日に、全身にリボンをかけた自分を春日に捧げます。
それで2人の関係は終わったようで、その後のメールのやり取りは一切ありません。
メールを全部読んだ私は、複雑な気持ちになって考え込んでいました。
メールを見る限り、妻は春日に対する愛情はないようです。私についての惚気のような表現はありますが、春日への愛情表現はありません。春日も妻に対してはメールの上では生徒に対する先生のようでした。
私は、妻の自分に対する愛が失われていない、少なくとも私よりも春日を愛した訳ではないということを知って安堵していることに気づきました。そう、私はまだ本音では妻を失いたくはなかったのです。
ですが、どうしても納得出来ないことがあります。それは妻と春日のメールでのやり取りと、実際にビデオや写真で撮られた2人の姿のギャップです。ビデオや写真での2人の姿は、私には愛し合っているように見えました。メールでのやり取りがいかにそうではないと言っていても、簡単には信じられません。