242.奴隷のお披露目(42)

「え……」
 戸惑う美紀夫人に和枝はいったん咥えた煙草を指先でつまみ、「え、じゃないわよ。お客様が煙草を取り出したら、すかさず火を点けるのが勤めでしょう」と皮肉っぽく言う。
「ほら、ライター」
 美紀夫人は「す、すみません」と頭を下げると、和枝から手渡されたライターを手にして火を点けようとする。しかし、カチッ、カチッと何度かスイッチを押しても、火が点かない。
「何をやっているのよ」
「このライター、火が点かないんですけど……」
「何よ。あたしが壊れたライターしか持っていないとでも言いたいの」
「そ、そんなわけでは」
「もう、不器用な女ね。貸しなさい」
 和枝は美紀夫人からライターを取り上げると、勢いよくスイッチを押す。カチッと大きな音がして炎が立つ。
「ほら、ちゃんと点くじゃない」
 和枝は火が点いたライターを美紀夫人に手渡し、再び煙草を口に銜える。美紀夫人はおそるおそるライターの炎を煙草の先端に近づける。ふと手元が狂い、ライターの炎が大きく揺らめく。
「熱いわよっ。あたしに火傷させるつもりなのっ」
 和枝は美紀夫人を怒鳴りつける。
「す、すみません」
「あんた、亭主に煙草の火を点けてあげたこともないの」
「はい……」
「社長夫人ともなれば亭主と一緒にパーティなんかに出ることもあるだろうに。亭主が煙草を吸おうとしてもあんたはぼおっと突っ立っているだけなの? そんなことも出来ないなんて、それでよく社長夫人なんかやれるわね。亭主はあんたのせいで恥をかいているわよ」
 和枝の叱咤に美紀夫人は口惜しげに顔を歪め、うなだれる。
 美紀の夫の村瀬善吉は普段は煙草は吸わず、酒席で間をもたせるためにたまに吸う程度である。そのため美紀夫人は夫の喫煙習慣については日頃は忘れているのが実情である。そのため善吉が夫人同伴のパーティでも吸うことがあっても、夫人は火を点けるところまで気が回っていない。
「煙草の火の点け方も知らないなんてホステス以下だわ」
 和枝は勝ち誇ったような表情で追い打ちをかけるように言う。
「そのへんで勘弁してやれ」
 岩崎が和枝をたしなめると、和枝は「この女が奴隷として不出来なのは事実よ。それを指摘してどこが悪いの」と言い立てる。
「この奥さんは最近入って来たばかりの新入りだ。まだそこまで教育が行き届いてないんだろう」
 岩崎がそう言うと、それまで岩崎たちのやりとりをじっと聞いていた千代が「そう言えば、ここの奴隷たちはコンビや珍芸の調教はみっちり受けているけれど、奴隷としての礼儀作法についてはあまり教育されていないわね」と口を挟む。
「きちんと出来るのは静子夫人。ぎりぎり合格点が珠江夫人くらいかしら」
「へえ、そうなんだ」
 順子が興味深そうに相づちを打つ。
「だけどそれは、殿方とお床入りするときには大事なことね」
「そうなのよ」
 千代夫人が身を乗り出すようにして言う。
「静子夫人が妊娠してお客の相手をすることが難しくなったから、他の奴隷たちもその辺のことをみっちり仕込む必要があるわ」
 そう言うと千代は和枝と葉子に向かって「ねえ、あなたたち、ここに滞在している間、女奴隷の教育係を引き受けてみない?」と声をかける。
「えっ、あたしたちが」
 葉子は驚いて目を丸くする。
「そう言われても、何をしたらいいのか」
 和枝も困惑気に首を傾げる。
「そんなに大袈裟に考える必要はないわよ。ベッドで殿方をどうやってもてなしたらいいのか、あなたたちが知っていることをここの経験の少ない女たちに教えてもらえればいいのよ」
 千代はそう言うと「たとえば、ここにいる二人の奥様にね」と付け加える。
「面白そうね」
 千代の意図を察した和枝がニヤリと笑う。
「そんなこと、あんた出来るの」
 葉子が不安そうな顔つきになる。
「大丈夫よ。あんたもホステス時代は床上手で知られたじゃない。そのテクニックを教え込めば良いのよ」
「そんなのでいいのかしら」
「面白そうだからやってみましょうよ。上流の気取った奥様連中に、海千山千のホステスの手練手管を教え込むなんて痛快じゃない」
「そうね」
 しばらく考えていた葉子は頷く。
「確かに面白うそうね。やってみるわ」
「それで決まりね」
 千代はニヤリと笑うと岩崎に「親分はそれでいいかしら」と尋ねる。
「田代社長と森田親分が良いのならおれはかまわんよ。どうせここにいる間は二人の相手は出来ないからな」
「まあ、随分な言い方ね。そういうことならあたしたちも好きにさせてもらうわ」
 葉子はぶっと頬を膨らませる。
「教育係は引き受けるけど、その見返りはないのかしら」
 和枝は意味ありげな表情で千代に尋ねる。
「見返りって?」
「男ばかりが楽しむなんて、不公平だわ。この奥様たちにベッドの作法を仕込んでも、得をするのは男たちでしょう」
「わかったわよ。和枝さんはさっきの美少年を抱きたいのね」
 千代は笑うと、美紀夫人の方を向く。
「ねえ、奥様。和枝さんはあなたの息子にいたくご執心なのよ。いいでしょう」
「いいでしょうって……な、何のことですか」
 美紀夫人は不安に声を曇らせる。
「何をカマトトぶっているのよ。和枝さんはあなたの息子の文夫とセックスしたいと言っているのよ」
「いやね、千代さん。言い方が露骨すぎるわ」
「だって本当のことでしょう」
「もっとロマンチックに、男と女の愛を交わしたいとでも言ってよ」
「何が男と女の愛よ」
 葉子がぷっと噴き出す。
「和枝さん、あなた岩崎の妾でしょう。他の男と愛を交わしてどうするのよ」
「身も蓋もないこと言わないでよ」
 和枝が唇を尖らせる。

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