153.一網打尽(1)

 田代屋敷から車で30分あまり西に走ったY県との県境、国道から二筋折れたところに数年前から放棄された自動車修理工場があった。
工場は懇意にしている金融業者の抵当に入っていたのを田代が一時的に借りたものである。
その工場の門の前に下着姿の久美子がぽつんと立ちすくんでいる。
久美子のやや後方にはやはり下着姿の桂子が立っている。そして工場の中には川田、吉沢、井上、そして竹田や堀川他のチンピラたち、そして熊沢組の平田や大沼など合計10名あまりが息を凝らして獲物の到着を待ち受けている。
吉沢の後ろには助っ人として駆り出された捨太郎がのんきな顔で鼻をほじり、あくびを繰り返している。その緊張感のない様子に吉沢は顔をしかめるが、捨太郎は気にする風もない。
(兄さん……ああ……お願い……来ないで)
久美子は青ざめた表情で立ちすくみ、小刻みに身体を震わせている。
川田たちに無理やり兄の山崎に電話をかけさせられてから二時間以上がたつ。すぐに兄が六本木の事務所を出発していれば、そろそろ到着してもおかしくない。
電話の内容は田代屋敷に潜入していた久美子が隙を見て桂子を連れて抜け出し、この廃工場の中で身を隠しているので助けにきて欲しいというものである。
川田たちの計画ははそこで、桂子を迎えにきた目の上のタンコブとも言える山崎探偵を捕らえて、後顧の憂いをなくしてしまおうというものだ。
正直言って田代も森田もこのような荒業は好まない。しかしながらこれまで細々と続けてきた森田組のシノギには今や関西きっての暴力団である岩崎組が深く関与するようになっている。このまま山崎の動きを放置していたら、岩崎が痺れを切らして自らその始末に乗り出すかもしれないのである。
そうなったら田代も森田も岩崎に対して大きな借りを作ることとなり、今後の彼らのシノギは実質的に岩崎組にコントロールされることとなりかねない。
静子夫人を始めとする美しい女奴隷たちは、田代や森田にとって大事な商売のネタである以上に、彼らの倒錯的な性癖を満足させるための対象なのである。多くの美女たちを手に入れて作り上げた彼らの天国を奪われることは田代や森田にとって到底我慢できないことだった。
「川やん」
吉沢が煙草をくゆらせながら川田に声をかける。
「何だ」
「ちょっと心配なんだが、山崎の奴、サツを引き連れてくることはないだろうな」
「それはない」
川田は首を振る。
「山崎はまだ何も証拠を掴んじゃいねえ。この段階でサツを動かすのはまず無理だ」
「しかし、奴はサツの中じゃあ結構顔が利くっていうぜ」
「山崎は屋敷の中で何が起きているかある程度気が付いている。自分のイロの京子だけならともかく、遠山財閥の令夫人や村瀬宝石店の令嬢、それに千原流華道の家元令嬢なんかが素っ裸でのたうちまわっているかも知れねえってところに、いきなりサツを連れ込んじゃあ大スキャンダルだ」
「この一件はもともと、遠山家の令嬢である桂子の不始末から起こったもんだ。久美子が桂子を連れて屋敷を脱け出したと電話をかけたからには、まず桂子を確保して誘拐者の背景を掴み、交渉してくるに違いない。サツへたれこむってのはその切り札に使うはずだ」
「なるほど、考えたもんだ」
川田の説明に吉沢は感心したような顔になる。
「しかしその山崎の企みに気づく川やんもたいしたもんだ」
「なに、どうってことはねえ」
川田は苦笑する。
「千代が遠山家で静子の後釜に座って以来、あそこの情報はこちらに筒抜けだ。少なくとも遠山家には、桂子が解放されそうだなんていう知らせは今のところ入っていねえ」
「遠山家と言えば、あのじいさんはどうなったんだ? 一時は危篤だって言っていたが」
吉沢の問いに川田は首を振る。
「しぶとくまだ生きているよ。早くおっ死んでくれりゃああそこの財産は千代と俺の思いどおりになるんだが」
「そうか……」
吉沢は頷くと、久美子のやや後ろに立つ桂子を見る。
「ところで桂子は大丈夫か? 土壇場で裏切るってことはねえだろうな」
「心配ないよ。桂子はすっかりこっちの人間だ」
「しかしさっき話してた遠山のじじいの財産は、桂子にも半分相続の権利があるだろう」
「金をもらったったって使いようがねえさ。桂子がもう屋敷の外で生きていけるもんか」
川田は笑いながら首を振る。
「しかし、桂子はもともと葉桜団の団長だった女だ。桂子を奪われたら芋づる式にこっちの正体はわかっちまうぜ」
「もしおかしな真似をしたら文夫のチンチンを切り落としてオカマ専用の奴隷にするって伝えてあるからな。ああ見えて桂子は文夫にぞっこんだから心配はいらねえよ」
川田はそう言うと吉沢の肩をぽんと叩く。
「それより吉やん、そろそろ煙草の火を消しな。そろそろ山崎がやって来てもおかしくねえ。こっちが待ち伏せをしていることに気づかれちゃ厄介だぜ」
吉沢は慌てて煙草を捨て、靴の先で消す。その瞬間、見張りをしていた竹田が「来やしたぜ」と声を上げる。
「よし、みんな、抜かるんじゃねえぜ」
川田が吉沢、井上たちに声をかける。
「あれ?」
「どうした、吉やん」
「捨太郎の姿が見えねえぜ」
「何だって?」
川田が思わず大きな声を上げそうになり、慌てて口をつぐむ。
「いったいどこへ行ったんだ」
「さっきまでここにいたんだが……」
「あの馬鹿、この大事な時に」
川田は吐き捨てるようにそう言うが、探している余裕はない。山崎の車はもうそこまで来ているのだ。
久美子の身体がびくんと震える。見覚えのある黒い乗用車が廃工場の門を抜けて、敷地の中に入って来たのである。
(ああ……兄さん、き、来ては駄目……)
本来なら涙が出るほど嬉しく、待ち望んでいた兄の救出のはずだが、ここは森田組が仕掛けた罠なのである。
乗用車が停車し、スーツ姿の兄の山崎が降りて来る。車の中は山崎以外は誰もいないようであり、警察が同行している様子もない。すべては川田たちの思惑どおりである。
(桂子さん……)
久美子は振り向くと悲痛な表情を桂子に向ける。最後の希望はここで桂子が山崎に危険を知らせ、ともに車の中に走り込んで罠から脱出することである。一連の誘拐事件の鍵を握る桂子を手に入れたら、事件は一気に解決に向かうに違いない。
しかし桂子は哀願するような久美子に、氷のような冷たい表情を向けているだけである。桂子は久美子の願いを聞き届ける気はまったくないのだ。

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