かなり遠い昔になりますが、性に目覚め自慰を覚えたころの対象となる女性は10代後半のアイドル、またはせいぜい二十歳そこそこの女優で、20代半ば過ぎになると正直に言って「おばさん」という印象でした。
まして自分の母親の年代とも言うべき40代の女性となるととてもそのような欲望の対象とはなりえず、またそういう年齢の女性がセックスをするということが現実のこととしてなかなか信じられませんでした。
しかし世の中というものはよくしたもので、男が年を取ってくるとそれなりに自分とつりあった年齢の女性に対しても欲望を感じるようになります(一部、若い女でないとだめという男はいるでしょうが)。私もまもなく50に手が届く年齢になりましたが、学生時代から付き合い初めて就職して2年目で結婚した今年銀婚式を迎える妻に対していまだに性欲を感じるのです。
夫の贔屓目がかなり入っていますが、妻の香澄は名取裕子に似たはっきりとした顔立ちの美人で、身体は彼女をかなり豊満にした感じです。名取裕子は今年50歳だそうですが、今でも相当の艶がある美女だと思います。妻は学生時代はガリガリに痩せており、その大人っぽい顔立ちもあって実年齢よりも上に見られることが多かったのですが、結婚して2年目で最初の子供を生んでからはふっくらとした身体つきになり、かえって若々しくなりました。
そういえば昔に比べて女性が若々しくなったように思えます。名取裕子や、今年48歳を迎える熟年女優、片平なぎさがいまだに「2時間ドラマの女王」として艶麗な姿を誇っているのはそのためでしょう。化粧やエステにふんだんなお金をかけることができる女優だけでなく、普通の主婦でも実際の年齢を聞けば驚くほど若々しい容貌を保っている人が多いようです。
しかし、それでも二十歳そこそこの男が自分の母親のような年齢の女に性的な興味を持つというのは私には実感として信じられないことでした。前置きが長くなりましたが、この話は私たち夫婦に起きたそんな体験を基にしたものです。
後に私の妻となる香澄と交際を始めたのは高校1年の時に、ブラスバンド部で同じフルートパートに所属したことがきっかけです。音楽好きの私は何か一つ楽器をものにしたいという気持ちがあり、ブラスバンド部に入ったのです。楽器は何でも良かったのですが、たまたま3年が引退することによってひとりきりになるフルートパートを補充する必要があるということで、そこに所属させられたのです。一緒に入った友人は男っぽい金管楽器やサックスを選び、フルートでも良いといったのが私だけだったせいもあります。
私自身は楽器は未経験でしたが、香澄は中学時代にもブラスバンド部に所属していたためフルートは相当吹けるだけでなく、子供のころから続けていたピアノもかなりの腕前でした。フルートパートは人数不足だったため、私も入部して数ヶ月もしないうちに高校野球の応援などで吹かされましたが、テンポが速くなるとまったく指が回らず、音を出すふりをして誤魔化すのが精一杯でした。香澄が装飾音の多いフレーズをやすやすと吹きこなすのを見て私はひどく劣等感に駆られました。
今思うと3年の経験差があるのですから当たり前ですが、その頃は女である香澄に引けを取るというのが我慢できなかったのです。香澄はそんな私に対して優越感を示すでもなく、また同情して教えようともせず、常に淡々としていました。
私は朝早く来ては部室の裏の非常階段で延々とロングトーンを繰り返し、昼休みも音階やアルペジオといった基礎練習に費やしました。私は楽器の経験はなかったものの耳学問は達者だったため、そういった地味な練習が結局は上達の早道だと考えていたのです。
数ヶ月の間は苦労の日々が続きましたが、ある時、それまでの基礎練習の効果がようやく現れ出しました。毎日のロングトーンで鍛えられた音色は、自分が吹いていると信じられないほど澄んでおり、地道な音階練習によって鍛えられた指が急に回るようになったのです。
同学年の友人や先輩も、私の突然の上達を驚きの目で見ました。たいていの部員は面白みのない基礎練習を嫌い、演奏会でやる曲の練習ばかりしていたからです。
香澄は私から少し離れた場所に立ち、相変わらず冷静な視線を向けていました。私の上達について香澄が何も言わないのがなんとなく不満でした。
しかし香澄の態度が変わってきたのはその後の、秋の文化祭に向けた練習の時です。香澄はそれまでひたすら譜面と向き合って、自分のパートを正確に吹くことに集中していたのですが、あたかも私に寄り添うような演奏をするようになったのです。
フレーズの開始と終了、2つのフルートが織り成す和音とユニゾン、私は自然と香澄に導かれるように吹き、楽器を通じて香澄と会話をするような気分になっていました。これはこれまでの私では経験できなかったことでした。
秋の文化祭では私なりに満足できる演奏ができましたし、香澄もそれは感じているようでした。かといって私と香澄は実際にはほとんど会話を交わすことはありませんでした。季節は流れて年が変わり、冬休み明けの始業式の日、私は廊下で香澄に呼び止められました。
「渡辺さん」
この時の香澄の思いつめたような表情を今でも思い出します。私は気圧されるようなものを感じながら「何?」と返事をします。
「ちょっと話があるの」
「ここじゃ駄目?」
香澄はこくりと頷きます。私は「それじゃあ、後で部室の裏で」と答えます。香澄は再びこくりと頷きました。
始業式の日は授業もないため、教室で簡単な連絡事項が終わったら解放されます。私は香澄と約束した部室の裏の非常階段へ急ぎました。香澄はぼんやりとグラウンドを眺めていました。
「村岡(妻の旧姓)さん」
私に気づいていなかった香澄ははっとした表情を向けます。その切れ長の目が光っているのに私は気づきました。
「ああ……ごめんなさい。ぼんやりしていて」
香澄はそういいながら目元に手をやります。
(泣いていた?)
私は香澄の様子がおかしいことに動揺しましたが、わざと平気を装って尋ねます。
「用って何」
「あ……」
香澄は初めて呼び出した用件を思い出したように私を見ます。
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