部内のシゴキ、苛めは凄まじくしばしば怪我人も出るほどだったが、不祥事を恐れる学校側によってそのほとんどが内部で処理されていた。その反面、暴力的なエネルギーが外へ溢れることがほとんどなかったのである。
新也の母、文子は野球部の顧問である体育教師、飯島に大金を握らせ、新入部員の頃から新也に特権的な地位を確保させた。その後も新也は金の力を有効活用して着実に取り巻きを増やしていき、3年の今ではA工業の不良のリーダー格となっていたのである。
母親同士の関係がそうであるように、新也の一の子分が瀬尾良江の息子で、今わざとらしく地べたを転げ回っている正明である。
貴美子は1年近く前、駅前のショッピングモールで母の裕子とともに買い物をしていた時、偶然文子と新也の母子に出会ったのだ。裕子は親子ともに金ぴかの趣味の悪い服装をしている文子と新也を見て一瞬顔をしかめたが、文子に自治会副会長業務を引継いだばかりのことであり、仕方なく丁寧に挨拶をした。
貴美子は裕子に調子を合わせて「母がお世話になっております」と頭を下げたが、その時にうす気味の悪い笑いを顔に張り付けながら、ジーンズとTシャツ姿の貴美子の瑞々しい姿態を凝視していた新也のことを今思い出したのだ。
「よ、どうするんだ。詫びを入れるのか入れねえのか。はっきりしてもらおうじゃねえか」
「どうして私が詫びを入れなきゃならないのよ」
貴美子は新也の乱暴な物言いに次第に腹立たしくなって、声を荒げる。
「まるでやくざみたいな言い掛かりをつけるなんて、あなた、恥ずかしくないの? 自治会の副会長をされているお母さんの顔に泥を塗ることになるわよ」
「おふくろのことは関係ねえ」
新也は興奮して大声を上げる。
「すぐにそんな生意気な口を聞けないようにしてやるぜ。おい、みんな」
新也が周囲で成り行きを見守っている仲間に声をかける。
「いいのか、聞いていた話とはだいぶ違うぜ」
不良少年の一人が首をひねる。
「いまさらビビってるんじゃねえよ。瀬尾たちからその女の母親のことは聞いただろう」
「しかしな――俺は自分で見た訳じゃねえからな」
「瀬尾のクラスの連中がちゃんと見てるんだよ」
「何を内輪揉めしているのよ。私の母がどうしたっていうの?」
貴美子が苛々した調子で口を挟む。
「早くしろっ。一番槍をつけた奴には10万の賞金を出すぜ」
「10万だって?」
少年たちは途端に目を輝かせる。
「随分張り込んだじゃねえか。それなら話は別だ。後になって値切るのはなしだぜ」
最初に疑問の声を上げた少年が袖をまくり上げると、貴美子に飛びかかる。
「何をするのよっ」
貴美子は急に襲いかかって来た少年の腕をはらうと逆にねじり上げ、同時に足をはらう。
少年は自らの勢いでほとんど空中を一回転すると、不様に地べたに転げ落ちる。
「やりやがったな」
仲間の一人があっさりとやられたのにかえって興奮した少年たちが、いっせいに貴美子を襲う。貴美子は次から次へと向かってくる少年たちを、手刀や足技で退ける。
一人対多数、しかも相手に売られた理不尽な喧嘩だが、貴美子は空手の有段者であり、やりすぎると過剰防衛に問われる恐れもあることから、通っている空手道場にも迷惑をかけかねない。貴美子は少年たちと戦いながらも、彼らに大きな怪我をさせないよう細心の注意を払っていた。
闘争の時間が過ぎ、少年たちの半分以上が貴美子に倒され、地面の上で唸り声を上げている。残りの少年たちもすっかり戦意を喪失し、呆然と突っ立っている。
「さ、どうなの、もうおしまいなの?」
貴美子はさすがに荒くなった息を整えながら、少年たちの中央に立つ新也を睨みつける。
「く……」
新也は言葉を詰まらせる。空手を習っているとは聞いていたが所詮は女のお稽古事、たいしたことはないと高をくくっていたが、大きな誤算だった。
進退窮まった新也は周囲を見回すが、仲間の不良少年たちは一様に顔を伏せる。
貴美子は口元に笑みを浮かべると、新也に向かって一歩足を踏み出す。新也は貴美子の迫力に押されたように、それに合わせて思わず一歩後退する。
「待ちな」
その時、空き地の隅の暗闇から一人の男が立ち上がり、ゆっくりとこちらへ向かって来た。
「女一人にコテンパンにやられるなんて、情けねえ連中だ。念のために張っていて良かったぜ」
「だ、誰だっ、お前」
吠えるような声を上げる新也を無視して、男は貴美子と不良少年たちの間に立つ。男はかなりの長身で、眉の薄い大陸系の顔立ちをしている。
「あなたは……」
「名前は龍――と呼ばれている。あんたの親父さんとは最近知り合いになってな」
「父の知り合いですって?」
「……まあ、それは今はどうでも良いことだ。まずはお嬢さんにこの場の落とし前をつけてもらおうじゃないか」
「落とし前? これはこの子たちが勝手に……」
貴美子の言葉が終わらないうちに、龍の素早い突きが貴美子の腹部を襲った。
「何をするのっ!」
貴美子は咄嗟に鳩尾の前で腕を交差させて防御の構えを取る。身体を後方に投げ出すようにして打撃を吸収させるが、それでも貴美子の両腕は完全に痺れたような状態になる。
「やめてっ、どういうつもりっ」
龍はまるで踊りのような身体の動きの中で、貴美子に向かって次々に突きや蹴りを放っていく。龍の速い動きに貴美子は防戦一方を強いられている。反撃しようにも龍の構えには全く隙がないのだ。
「男を男とも思わない思い上がった女には、一度痛い目を見てもらわないとな」
そういうと龍は攻撃を再開する。猫が鼠をいたぶるような攻撃が続き、貴美子は次第に空き地の隅に追い詰められて行く。
(このままでは……)
やられる、と貴美子の頭を凌辱の恐怖がよぎる。その時、龍の動きが急に鈍くなり、腰をふらつかせる。
「くそっ」
龍はいらだたしげに首を振り、構え直す。しかしながらそれまでの激しい動きにスタミナが切れたのか、その構えは先程と違って隙だらけである。
(チャンスだわ)
貴美子は素早く体勢を立て直すと渾身の突きを龍に向かって放つ。その瞬間、龍の身体が一本筋が通ったように引き締まり、酷薄そうな顔に薄い笑みが浮かぶ。
(え?)
貴美子の突きとクロスするような形で放たれた龍のカウンターが、貴美子の顎先に見事なまでに決まる。貴美子の目の前で何かが爆発し、その意識は深い闇の底へと落ちていった。
コメント