17.新宿歌舞伎町(1)

 久美子が歌舞伎町に通い始めてからこれでもう三日目になる。
兄の山崎の助手を買って出たものの、専門過程に入ったばかりの久美子は大学の授業も結構忙しく、調査の時間を思うように取ることは出来なかった。
新宿歌舞伎町を根城にしていた葉桜団というやや自虐的な名をもつ不良少女グループは、遠山財閥の令嬢である桂子がスポンサーと団長を兼ねていたころは派手に金を使い、遊んでいたようだ。しかしその桂子が団の掟を破ったことでリンチにあい、そして桂子を餌にして継母である遠山静子夫人が誘拐されたあたりから、すっかりその消息は分からなくなっている。
久美子は大学の講義が終わってから、歌舞伎町で以前葉桜団がよく出没した店を回って情報収集に努めたが、今のところこれといって有効なものは得られなかった。
(以前の馴染みの店には現れなくなっている――当たり前と言えば当たり前か。連中がそんな迂闊なことをするようならとっくに事件は解決しているわ)
その日、探索に疲れた久美子は終夜営業の喫茶店のカウンターに座り、珈琲を飲んでいる。ジーパンにジャケットというラフなスタイルで、化粧もしていない久美子だが、きりっと引き締まった美貌と柔道で鍛えられた伸びやかな肢体は傍目にも目立つのか、やたらと男たちから声をかけられる。そのことも調査が思うように進まない理由のひとつだった。
(やはり京子さんは大したものだわ)
京子はそんな調査の中で葉桜団のズベ公の一人と接触し、敵中への潜入を成功させている。「ミイラ取りがミイラになる」結果となった京子の行為だが、自分で調査を行ってみてその大変さを身をもって感じた久美子は、探偵助手としての京子の優秀さを改めて実感するのだった。
(美紀さんと絹代さんから十分な費用が払われるから、数日中には調査員の増員などの体制を整えられるって兄さんは言っていたけれど――)
兄の名誉を回復し、同時に遠山夫人や村瀬家の令嬢、千原流の家元令嬢、そして京子さんを一刻も早く救出するため、出来ればそれまでに手掛かりの一端でも掴みたい――そんなことを考えながら冷めかけた珈琲を口に含んだ久美子の耳に、後方のボックス席で争う声が聞こえて来た。
「葉桜団の友子姐さんを嘗めてんのか!」
若い女の大きな声に久美子は緊張する。
(葉桜団?)
久美子が振り向くと、ボックス席に座った三人の女の前に、体格の良い男たちが二人、威圧するように立っていた。三人の女のうち二人は真っ赤な顔をして男たちに向かい合っている。
「と、友子さん、やめなよ」
残りの一人の女が間に割って入るようにして、他の女を止めようとしている。
「葉桜団? なんだ、そりゃ」
「姥桜団の間違いじゃねえのか」
男たちはそう言ってゲラゲラ笑い合いながら、いきりたつ女を眺めている。
「なんやと、お前ら」
「表に出んかいっ!」
二人の女は相当酔っ払っているのか呂律の回らない口調で男たちに凄む。
「面白えじゃねえか」
「退屈しのぎに相手をしてやるか」
男たちは二人の女を挟むように店を出る。
「と、友子さん、直江さん、やっかい事はいけないよ」
「心配ないって、悦子さん。わいらの強いところ、見せてあげるわ」
「銀子姐さんや朱美姐さんにもよう言うといてくれるか」
友子と直江と呼ばれた女二人は、足をふらふらさせながら男たちについて行く。五人が店を出るのを見送った久美子は会計を済ませると、後を追う。
やがて喫茶店の横の、飲食店が入ったビルの間の路地から、女の悲鳴が聞こえて来た。久美子が駆けつけると、友子と直江が鼻血を出して地面に転がっており、それを男二人が見下ろすようにしている。
「口ほどにもねえ奴らだ」
二人の男はニヤニヤ笑いながら顔を見合わせる。
「ブスがますますブスになったぜ」
男の一人が靴の先で友子の顔を軽く蹴ると、もう一人の男が「まったくだ」と笑う。
二人の男は、争いを止めようとしていた少女の顔を見る。
「そこの姉ちゃんも痛い目にあいたいかい?」
悦子と呼ばれていたその少女はおびえた表情で後退りしながら「や、やめてよ……」と声を震わせる。
「女の癖にいきがるからさ。何が葉桜団だ」
「そんなの、聞いたことねえぜ」
「あ、あたしたちに手を出したらただじゃすまないよ。葉桜団には森田――いや、関西の岩崎一家がついているんだ」
「岩崎一家だと? 寝ぼけてるんじゃねえのか?」
「岩崎一家がお前みたいなズベ公を相手にする訳ないじゃないか」
男たちは鼻で笑う。
「ズベ公にしてはそれほど見られねえ面でもねえ。お前が身体を張ってそこの二人の詫びを入れるなら、痛い目に合わせるのは勘弁してやってもいいぜ」
男の一人はそう言うと、悦子の腕を掴む。
「やめてっ、やめてよっ!」
「ガタガタ騒ぐんじゃねえっ!」
男の平手打ちが悦子の頬に飛ぶ。男の手が悦子のシャツブラウスを音を立てて引き裂き、白いブラジャーに包まれた悦子の乳房が露出する。悦子の甲高い悲鳴が響いた時、久美子は路地に飛び出した。
「やめなさいっ、男二人で女をいたぶるなんて、みっともないわよっ!」
突然の闖入者に男たちは驚くが、すぐに威圧的な表情になる。
「なんだ、てめえは」
「こいつらの仲間か?」
男たちは久美子を頭のてっぺんから爪先までジロジロと眺めると、淫靡な笑みを口元に浮かべる。
「どうでもいいや、こっちの女の方がずっと別嬪だぜ」
「おい、女。俺達と付き合うなら仲間は許してやってもいいぜ」
「別に許してもらわなくても結構よ」
久美子はそう言うと男の一人に飛びかかり、片腕を抱え込むと見事な一本背負いを決める。いきなりの先制攻撃に完全に不意を打たれた男は、背中から堅い地面の上に落ち、ぐえっと呻き声を上げて動かなくなる。
鮮やかな柔道の技にもう一人の男は愕然と目を見開いていたが、すぐに雄叫びのような声を上げながら久美子に飛びかかる。久美子は素早く身を低くして男の懐に飛び込むと、巴投げを打つ。男の巨体が宙を飛び、地面に叩きつけられる。
久美子があっという間に二人の男をたたき伏たのを目にした悦子は、驚きに息を飲んでいる。
「面倒なことにならないうちに逃げるわよ」
久美子は悦子に声をかけ、地面の上に転がっている友子を背中に抱えるようにする。
「さあ、行くわよ!」
悦子は頷くと直江を背中に抱え上げ、「こっちへ」と久美子を促す。男たちが痛みに呻く声を背後に聞きながら、久美子と悦子は友子と直江を引きずるようにしてその場から去るのだった。

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