69.地獄巡り(7)

「あんた、そんなことも知らんのかい」
久美子が訝しげにたずねると、義子が再び呆れたような声を出す。
「奥さん達のその白魚のような小指を切り落とすってことや。やくざの世界ではごく当たり前の仕置きやで」
「何ですって」
義子の言葉に久美子の顔がさっと青ざめ、美紀と絹代は同時に「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
「まったく、知らないってことは恐ろしいわ。久美子も、奥さん達もそういう怖い人種を相手にしていたということや。よく覚えておくんやで」
義子はそう言うと、再び三人に向かって「さあ、もう一度練習や。スマイル、スマイル」と言う。
すっかり気を呑まれた三人が同時に引きつったような笑みを浮かべる。
熊沢組は暴力団とはいっても森田組同様、いや、それ以上に荒っぽいシノギとは無縁であり、銀子や義子の言葉は脅しに過ぎない。
探偵助手の経験を積んだ京子に対してなら、そんなはったりは通用しなかっただろうが、悲しいことに久美子は名探偵山崎の妹とはいえただの女子大生、探偵としては素人に過ぎない。銀子と義子の脅しにあっさりと縛られてしまったのである。
また仮に久美子が銀子の言葉に多少の疑念を抱いたとしても、美紀と絹代の安全を最優先するためには、熊沢に逆らう危険を冒すことは出来なかっただろう。
「上出来だよ。それじゃあ行くよ」
銀子は頷くと座敷の前に立ち、ゆっくりと襖を開く。
座敷に足を踏み入れた久美子、美紀、そして絹代の三人はそこで展開されている光景を目にして思わず声を上げそうになる。
折原珠江が一糸纏わぬ素っ裸で床柱に縛られ、酒席の晒し者になっていたのだ。
部屋に入って来た扇情的な下着姿の三人の女の中に、美沙江の母である千原絹代の顔を認めた珠江の表情は、恐ろしいまでに硬化する。
「き――」
思わず「絹代さん」と声を上げそうになった珠江は、どうにかそれを押し止どめる。
そんな珠江の動揺振りをさも楽しそうに眺めていた銀子が熊沢たちに声をかける。
「熊沢親分、こちらが先程お話した夏子さん、冬子さん、それに久美子さんよ」
銀子は美紀、絹代、そして久美子を順に紹介すると、組長の熊沢他、平田、大沼といった人相の悪い暴力団幹部たちがいっせいにこちらを向く。
「おお、思ったよりも別嬪やないか」
連れ込まれた三人の美女にぎょろりとした大きな目を向けていた熊沢が相好を崩す。平田と大沼もそれに釣られたようににやりと笑みを浮かべる。
「早速やがここに座って酌をしてくれ。そやな、わいはその黒い下着の美女がええな」
熊沢に手招きされた絹代は戸惑ったような表情を見せるが、銀子に「何をおどおどしているのよ。さっき言った通りにやりなさい」と尻を叩かれ、ようやく熊沢の隣りに座る。
同様に美紀が平田の、久美子が大沼の隣りに座り、酌をさせられる。銀子と義子は熊沢の隣り、絹代の反対側に陣取る。
「奥さん、冬子はんって言ったな。歳はいくつなんや?」
「えっ……」
いきなり無遠慮な質問を投げかけられた絹代は困惑の表情を浮かべるが、どうにか当初の打ち合わせを思いだし「さ、三十六ですわ」と答える。
「こっちの奥さんはいくつだ」
平田が美紀の肩を抱くようにして尋ねると、美紀は緊張を見せながらも「三十九です」と答える。
「ふん、二人ともとてもそうは見えないな。やはり日頃いいものを食っているせいかな」
大沼はそう言って久美子の酌を受けながら、「ところで、お嬢さんはいくつだい?」と聞く。
「二十一歳です」
「ほう、するとここの桂子と同い年やな」
熊沢が眉を上げる。
「桂子と言えば、そろそろうちに譲ってくれんかな。森田はんのところは女奴隷だけでも七人もいるんやし、一人くらいかまへんやろう」
「そんなこと私に言われても困るわ」
銀子が苦笑する。
「桂子はもともと、あんたらの仲間やったんやろ」
「そうは言っても所有権はもう森田組に移っているわよ。交渉するんなら森田親分に交渉してよ。とにかく折角美女をそろえているのに、商売の話は野暮よ」
「それはそやが性分になってるもんでな。つい考えてしまうんや。例えばこの別嬪さんやったら、映画に出したらどれくらいの値が付くかとかな」
熊沢はそう言うと、絹代の身体を嘗めるように見る。蛇に睨まれたような不快感を知覚した絹代は、思わず身体をぶるっと震わせる。
「それで、どうなん? 親分。売り物になりそうかいな」
義子が尋ねると熊沢は「ああ、十分売り物になるで」と頷く。
「この奥さんだけやない。そっちの夏子って名前の奥さんも、久美子ていうお嬢さんもや。どれも磨けば珠になる素材とみたで」
「熊沢親分の見立てなら確かでしょうけど、残念ながらこの三人は売り物じゃないわよ。ねえ、冬子さん」
銀子はそう言って意味ありげに笑う。
「それよりも親分、今夜のスターが退屈そうにしているわよ。商売のことを考えるならそっちの方が大事じゃないの?」
「おお、そやった。森田はんが静子に代わるスターとして押している女やそうやから、じっくりと検分せなあかん」
熊沢は盃の酒をぐいと飲み干すと、珠江の方を向き直る。突然の絹代たちの登場に混乱の極にある珠江は、必死で頭を回転させている。
(どうして絹代さんがここへ――私や美沙江さんのように誘拐されたの? まさか――)
(それならどうして偽名を名乗っているの? 裸にもされていないし、縛られてもいない)
(あと二人の女性のうち、一人は見覚えがある。確か村瀬宝石店の奥様で名前は美紀さんといったかしら。もう一人の若い方は見覚えがない。ひょっとして警察の囮捜査? それとも夫か誰かが雇った探偵?)
「これはまた雪のような肌やないか。どことのう女優の新珠三千代にも似とる。いやあ、さすがは森田組や」
珠江の裸身をしげしげと眺めていた熊沢は、感嘆したような声を上げる。
「珠江、何を愚図愚図しているんや。さっさと始めんかいっ」
熊沢の相手を銀子に任せた義子はこの場の進行役を買って出るつもりか、立ち上がると大声を上げる。
珠江夫人ははっと顔を上げ、おどおどと命じられた自己紹介を始める。
「ほ、本日の、お座敷を勤めさせて頂きます、お、折原珠江と申します。年齢は31歳――」
「もっと大きな声でしゃべりるんやっ」
義子がつかつかと珠江に近寄ると、形の良い尻を思い切り平手打ちする。珠江は人前で尻を打たれる苦痛と屈辱に、うっとうめき声をもらす。
同時に絹代が、まるで自分自身が打たれたように「ひっ」と小さな声を上げ、首をすくめる。

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