203.奴隷のお披露目(3)

「こりゃあ、遠山静子夫人じゃない」
 岡田とともにアルバムを覗き込んでいた町子が驚きの声を上げる。
 遠山財閥のオーナーである遠山隆義の妻、静子はその映画女優顔負けの美貌と、フランス留学で培った知性と教養で並の芸能人をはるかに凌ぐ有名人であり、女性週刊誌のグラビアを何度も飾ったこともある。
 その静子夫人が約一カ月前、日本橋の三越前で誘拐された時は新聞の社会面のトップを飾るほどの大ニュースになったのである。しかもその誘拐が、私立探偵で静子のガードをしていた山崎の目を掠めて実行されたということが注目を浴び、このため名探偵として知られていた山崎の信用と名声は一気に地に落ちたのだ。
「俺もこれを見た時は驚いたぜ。まさかあの遠山財閥夫人が森田組に捕らえられているとはな」
「静子夫人の誘拐は森田組が仕組んだんですか」
「そんな大それたことができる連中じゃない」
 岡田の問いに関口は苦笑して首を振るが、カウンターの中にいる五郎というバーテンが、森田組のチンピラであることに改めて気づき、声を潜める。
「偶然の出来事らしい。遠山の娘の桂子ってのが葉桜団っていうズベ公のグループに入っていて、男のことで揉めたそうだ」
「遠山財閥の令嬢がズベ公のグループに?」
「桂子の実の母親はとっくの昔に死んでいて、静子夫人は桂子にとっては継母なんだ」
「そんなことでグレるなんて、金持ちのお嬢さんは贅沢なものね」
 町子は溜息を吐くように言う。
「それで桂子以外の連中が遠山家に、桂子の身柄と引き換えに金を持ってくるように要求した。やってきた静子夫人をさらった葉桜団は、最初は遠山家に夫人の分の身代金も上乗せしていただこうと思ったんだが、途中で方針を変更して親娘共々、森田組に売り払ったってことらしい」
「随分詳しいですね」
「さっきあんたを案内したマリって女から酒を飲みながら聞いたんだ」
「他の女はどうしたんですか」
「静子夫人をさらったら、あとは芋づる式についてきたってことだ。それで一ヶ月もたたねえうちに、この田代屋敷は美男美女の奴隷たちで溢れ返るほどになったって訳だ」
「信じられないわ」
 町子が疑わしい顔で首を傾げる。
「静子夫人とその娘だけならともかく、こんなにたくさんの美男美女がこの屋敷で虜にされているなんて。そんな夢みたいな話があるのかしら」
「俺も初めはそう思ったんだが、どうも本当らしい。たとえばこの女だが」
 関口はアルバムの中の、一枚の女の写真を指さす。
 品の良い藤色の着物を着こなしたすらりと上背のあるその女は、凛とした容貌の、静子夫人とはタイプが違った美女である。先ほどの静子夫人が山本富士子に例えられるなら、こちらの女は新珠美千代といったところだろうか。
「誰なんですか、この女」
「町子さんは千原流華道って聞いたことはあるか」
「華道のことはからっきしだけど、千原流って名前は私でも知っているわ。確か、家元の令嬢と、いつもその令嬢にぴったりとくっついている後援会長がすごい美女で」
 そこまで言いかけた町子は「まさか……」と言って口をつぐむ。
「そう、この女が千原流の後援会長で医学博士夫人、折原珠江だそうだ」
 関口はそう言うと、アルバムの次のページをめくる。
「そしてこの二人が千原流家元夫人、千原絹代とその娘の美沙江って訳だ」
 そこに写し出された二人の着物姿の美しい女、確かにそのうちの振り袖姿の若い方は町子も何度かテレビで目にしたことがある千原流の後継者、千原美沙江だった。
 もう一人の淑やかな墨染めの訪問着に身を包んだ年上の美女は町子は見たことはないが、しっとりとした情感的な容貌が美沙江と似通っていることが二人の間に紛れもなく血縁があることを示している。
 三人の写真に共通しているのは、いかにも高価な着物を身に纏い化粧をし、口元に微笑を湛えながらもその目には何とも言えぬ哀切の色が浮かんでいるところであった。
「こんな……信じられない。千原流の関係者が三人もこの屋敷に捕らわれているなんて」
 町子は驚きのあまり声を失う。
「誰か似た女を連れてきて撮ったってことはないの?」
「これだけ似た女を捜して来る方が、むしろ手間がかかるさ」
 関口は苦笑して首を振る。
「そもそもこっちの二人はどう見たって母娘か、年の離れた姉妹じゃないか。これだけの美人でそんな都合の良いモデルがいるもんか」
「それじゃあ、何かの手段で本人の写真を手にいれたんだわ。だって、三人ともさっきの静子夫人と違って、ちゃんと着物を着ているじゃない」
 町子はそう言うと疑わしげに首を捻る。
 そんな町子に、関口が駄目押しをするように、
「少なくとも折原珠江がこの屋敷の中に誘拐されているってことについては、証人がいるんだ」
 と言う。
「そいつは誰なんですか」
 岡田が尋ねる。
「熊沢組の熊沢親分と、大沼と平田の三人だ。三人はこの田代屋敷で、珠江夫人を抱いたそうだ」
「何ですって……」
 町子は再び驚きの声を上げる。
 熊沢組は関口一家と同業で、ポルノ映画の製作や、温泉場でのストリップ小屋の経営を主なシノギにしている身内一〇名あまりの小さな暴力団である。
「千原流の後援会長が、やくざを相手に娼婦の真似事をしているって訳?」
「真似事じゃなくて娼婦そのものだ」
 関口はそう言うと、グラスに残ったビールを飲み干す。
「関口親分は、その三人にかつがれているんじゃないですか」
 岡田は「おいおい、町子、あんまり失礼なことを言うんじゃない」と口を挟むが、関口は気にしないと言った風に笑いながら「何で熊沢親分が俺をかつぐんだ」と町子に尋ねる。
「そんなの知りませんよ。ただ、面白いからじゃないですか」
 町子はそう言うとグラスのビールを一口含む。
「町子さんは信用しないっていうのか?」
「だって、静子夫人とその義理の娘が攫われているってだけでも、信じ難いのに、あの千原流華道の後援会長や家元令嬢まで誘拐しているなんて、信じられるわけないじゃないですか。それに、そんな有名人二人が誘拐されたって事になりゃ、とっくにニュースになっているはずですよ」
「誘拐ってのは被害者の身の安全を考えて、報道しないことが多いんだ」
「静子夫人の場合は週刊誌にも出ていますよ。それにさっき、親分自身が森田組は誘拐なんて大それたことが出来ないとおっしゃったばかりじゃないですか」
「初めはそうだったが、静子夫人を手に入れたことで気が大きくなったとも考えられるぜ」
「それにしても、静子夫人だけでも信じられないのに」
「そんなことを言うが、あんたのところだって乗っ取った旅館の箱入りの姉妹を地下牢に閉じ込めて、ブルーフィルムに出演させているそうじゃないか」
「あれば……」
 関口に指摘された町子は口ごもる。
「あの旅館は元々あの女たちの家なのよ。別に誘拐している訳じゃないわ」

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