229.奴隷のお披露目(29)

 長年トルコ嬢(今のソープ嬢)を勤めてきた町子は、これまで様々な客を相手にしてきた。客の中にはそれこそやくざも、犯罪歴のある男もいたかも知れない。
 どんな客に対しても裸で向かい合わなければならない職業柄、一種の開き直りのような態度と度胸が自然と身についたといえるのだ。
「岩崎親分は雪路と雅子に興味を持ったみたいだな。しかし親分が昔、月影荘の客になったことがあるとはな」
 岡田の言葉に、町子は頷く。
「私たちにとっては願ってもないことだわ。和洋産業の商売をぐっと大きくできるかも知れないわよ」
「お前は大した軍師だ。さしずめ竹中半兵衛か黒田官兵衛ってところだな」
「それなら社長は秀吉ってこと? それはちょっと言い過ぎじゃないの」
 町子がそう答えたとき、再び音楽が鳴り響く。
 観客たちは幕が開くのかと思い、座り直して舞台に注目する。しかしながら幕はしまったままで、舞台脇から登場したのは遠山桂子扮する緋色の襦袢姿のお桂と、津村が扮する津村清十郎の二人だった。
「こっちですよ、津村の旦那」
 舞台中央まで進んだお桂が津村を手招きする。
「こんなところへ連れてきて、どうしようというのだ。つっ……藪蚊がおるではないか。いまいましいっ」
 津村は腹立たしげに自分の頬をパシンと叩く。
「ちょっと。静かにして下さいよ、旦那」
「いったいどこへ連れていくつもりだ」
「夕べ言ったでしょう。旦那を仇と狙っているお小夜と文之助の姉弟がこの葉桜屋に囚われているって。二人はこの庭を奥に入った土蔵の中で、調教を受けているんですよ」
「何だと」
 津村が驚きの声を上げる。
「そ、それを早く言わぬか。えい、土蔵はどっちだ」
「旦那、慌てて歩くと」
 お桂がそう言うと津村は何かに躓いたのか、派手に転ぶ。観客たちは津村のその滑稽な様子にどっと笑いこける。
「足もとが悪いから躓きますよって言おうとしたんですが」
「ええい、大事なことは早く言えと言っただろう。土蔵はどこにあるのだ」
「もうすぐ着きますよ。ほら、あそこです」
 お桂がそう言うと幕が開き、舞台に庭と土蔵のセットが現れる。土蔵の中から何やら人の声が響いてくるのが聞こえる。
「おお、あそこか」
 駆け寄ろうとする津村の裾を、お桂がぐいと引き、津村がまた地面に転ぶ。再び観客の笑い声。
「何をするのだ」
「入っちゃ駄目ですよ。旦那」
「どうしてだ。お小夜と文之助は俺に調教させてくれる約束じゃないのか」
「それはもう少し先のことですよ。今は二人に濡れ場の演技を付けているところなんです」
「濡れ場の演技だと?」
「姉弟で夫婦や恋人の役を演じさせようっていうんですよ。そうすれば二人は、女郎や陰間にならずにすむし、仇も討てるってことになっているんです」
「何だと、まだあの二人に、俺を討たせようとしているのか」
 津村はお桂に詰め寄るが、お桂は「違いますよ。そう二人に信じさせているだけです」と答える。
「どうしてそんなことをする」
 いぶかしげな顔になる津村の耳元にお桂は口を寄せ、何事か囁きかける。
「何、生娘だと」
「しっ。大きな声を出しちゃ駄目だって言ったでしょう」
「すまん」
 津村はそう言って腕を組む。
「しかし、考えてみれば当然のことだ。お小夜は武家の娘。しかも村瀬家は四谷藩では指折りの由緒ある家柄だからな。嫁入り前なら生娘であることは当たり前だ」
「そう言えば、お小夜って娘はもう二十歳過ぎているんでしょう。どうしてまだ独り身なんですか」
「一応許嫁はおるようなのだ。内村光の進といって藩のご典医の跡取りだ。確か、今は長崎へ医学の勉強に行っている筈だ」
「それじゃお小夜はその内村って男の家に嫁に行くんですか」
「藩の剣術指南役というのは厄介な家でな。跡取りの文之助にそこそこ剣の才能があれば問題はないのだが、そうでなければお小夜が婿を取って家を継がねばならんのだ。最近ようやく文之助の腕も上がり、殿から跡目を継ぐお許しが出たため、内村が長崎から戻り次第、お小夜は嫁に行くことに決まったのだ」
「そこにいきなり父親を旦那に討たれ、お小夜と文之助は仇討ちの旅に出なきゃならなかったんですね。旦那も罪な人ですね」
 お桂はからかうようにそう言う。
「いっそ旦那がお小夜の婿になって、その村瀬って家を継いでいりゃ良かったじゃないですか」
「な、なんだと?」
 お慶の言葉に津村は驚いて目を丸くする。
「だって、旦那はお小夜の父親を討つほどの腕前なんでしょう」
「それはそうだが……」
「まあ、それはともかく、せっかくだから覗いていきましょうよ。お小夜と文之助の稽古ぶりを」
 お桂はそう言いながら津村を先導するようにして土蔵に近づく。お桂と津村が土蔵の横にぴったりと身を寄せ、壁の隙間から中を覗き込んだとき、舞台上の土蔵の壁がすっと横に動き、内部が観客の眼に露わになる。
 土蔵の中では薄い襦袢に身を包んだお小夜と、木綿の下穿きのみを許された文之助が、後ろ手縛りの姿で身体を寄せ合い、はあ、はあと荒い息を吐き合っている。
「あれが旦那を狙っているお小夜と文之助か。お小夜も美人だけど、文之助も役者みたいないい男じゃないですか。水もしたたるってのはああいうのを言うんねえ」
 お桂が壁に眼をあてながらため息をつくようにそう言うと、津村もまたぴったりと壁に張り付きながら、「こ、こら、何を感心しておるのだ。俺以外の男に見とれおって」と声を上げる。
「旦那だってお小夜に眼が釘付けじゃないですか。えい、憎らしい」
 お桂はそう言うと手を伸ばし、津村の尻の肉を思い切り抓る。
「い、痛いっ」
「大きな声を出しちゃ駄目ですよ」
「お桂が抓るからではないか」
「お尻を抓られたくらいで悲鳴を上げないで下さいよ。旦那はお侍でしょう」
「おぬし、言っておることが支離滅裂だぞ」
「いいから黙って、しばらく見物しましょうよ」
 お桂はそう言って津村を促し、改めて座り直す。
 お春とお夏はそれぞれお小夜と文之助の背後に立ち、淫靡な笑みを浮かべながら二人の耳元に何ごとか囁いている。二人の前には鬼源が大徳利を抱えて座り込み、お春とお夏の調教ぶりを監督するように、大きな眼をギョロつかせているのだ。

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