230.奴隷のお披露目(30)

「いいかい、あたしが言ったように言ってみな」
 お春が念を押すようにそう告げると、お小夜は「ああ……そんな……」と苦しげに眉をひそめる。
「大して難しい台詞じゃないわよ。お武家のお嬢さんがそれくらいのこと、どうして言えないのよ」
「で、でも……血を分けた弟に向かってそのようなことを……」
 お小夜は顔を真っ赤に染め、消え入るような声でそう言う。
「だからこれはお芝居だと言っているでしょう。二人とも、姉弟で夫婦や恋人の濡れ場を演じることは納得したはずじゃなかったの」
「そ、それはそうですが……お、お小夜は何か、すでに世の中で知られているお芝居を演じるものだと思っておりました。その、お軽と勘平とか、義経と静御前とか」
「それはあくまでたとえばの話よ。そんな有名なお芝居は玄人の役者が演じるのにはかなわないんだから、今さらあんたたちがやったって面白くもおかしくもないわよ」
「で、でも、だからといって、ま、まさか自分たちのことをお芝居にするなどとは」
 お小夜は悲痛な表情をお春に向ける。
「別に自分たちのことって訳じゃないでしょう。ちゃんと脚色しているわよ」
 お夏はそう言うと、懐から何やら書き付けのようなものを取り出して得意げに読み上げる。
「某藩の剣術指南役、村瀬家の息女、お小夜とその弟の文之助は、血を分けた姉弟でありながら互いを慕い合う禁じられた間柄だった」
 そんなとんでもない設定を演じなければならないと改めて知ったお小夜と文之助は、怒りと困惑、そして耐えようのない羞恥が身体の裡から込み上がり、カッと顔を熱くするのだ。
「二人は互いへの思いを胸の中に秘め、お小夜は父の定めた許嫁の元に嫁ぎ、文之助は父の後を継ぐ決心を固めていた。しかし、ある日その父が門弟である津村清十郎に闇討ちという卑劣な手段で殺されることで二人の運命は一変する」
「あら、津村の旦那、お小夜の父親を闇討ちで殺したんですか」
 土蔵の外のお桂が驚いて津村の顔を見る。
「ば、馬鹿な」
 津村は慌てて首を振る。
「あの女も言っておるではないか。ちゃんと脚色していると。俺は断じて闇討ちなどしておらぬ」
「お夏さんは女じゃないですよ」
「何」
 津村は驚いて壁から眼を離し、お桂の方を見る。
「あれは陰間女郎と言って、男が女の格好をして男の客を取るんです」
「陰間だと? どうりで妙に顔が厳ついし、声も太いと思った」
 津村は改めて壁の隙間に眼を当て、呆れたような声を出す。
「しかし、あんなのを買おうという客がいるのか」
「あんなのなんて言っちゃ、お夏さんやお春さんに悪いですよ」
 お桂は苦笑する。
「二人も若い頃はお化粧すればそれなりに見られて、随分お客もついたみたいです。だけど、確かに今になっちゃ、幇間代わりに宴席で客の機嫌を取るのがもっぱらの仕事になっちゃいましたね」
 お桂はそう言って改めて壁に眼を当てる。
「お春さんやお夏さんが客が取れなくなったんで、その代わりにあの文之助ってお稚児に客を取らせようっていうんでしょうね。こう言っちゃ悪いけど、あの二人に比べりゃ月とスッポンだよ」
「その……葉桜屋は本当に、あの文之助を陰間に仕立てて客を取らせるつもりか」
「森田の親分は冗談でそんなことは言いませんよ」
「しかし文之助は村瀬藩の」
「重職の嫡男だって言うんでしょう。そんなことはわかっていますよ。ご大層なお武家の跡取り息子を陰間に仕立てるのが面白いんじゃないですか」
「お桂はお小夜や文之助のことを可哀想だと思わぬのか」
「どうしてですか?」
「お小夜と文之助は、いわば、お桂と同じような身の上ではないか」
「同じって? あたしはお武家の出じゃないですよ」
「そういうことを言っておるのではない」
 津村は壁に眼を当てたままお桂に語りかける。
「お桂も元は大店の娘だろう。何でもこの葉桜屋には誘拐同然で連れ込まれ、無理矢理女郎にさせられたと聞いているぞ」
「そうですね」
 お桂はあっさりと頷く。
「その点ではお桂も、二人と同じではないか。お桂を女郎に堕とした森田の親分やお銀たちを恨んではおらぬのか」
「今さら恨みなんてありませんよ」
 お桂はそう言って苦笑する。
「あたしは大店の娘なんて堅苦しい立場は性に合ってなかったんですよ。この葉桜屋の方がいっそ気楽で良いですね。知らない男と寝るのも嫌いじゃないし、あたしって、もともと淫らな女だったのかも知れませんね」
 舞台に見とれていた町子は思わずそんなお桂の台詞に引き込まれる。
(あれは演じている桂子の本当の気持ちかしら)
 良家のお嬢様が堕落に憧れるのはありえないことではない。桂子も最初のうちは軽い気持ちで不良の真似事をしていたのではないか。
 ところが、葉桜団のすれっからしのズベ公たちは、いつまでも金持ちのお嬢様の気まぐれにつきあっていられるほど暇ではない。桂子が気前よく自分のお小遣いを仲間のズベ公たちにばらまいている間は良かったのだが、そんな時間は長く持たない。桂子と他のズベ公たちの蜜月が終わるのは意外に早かったのかも知れない。
 ズベ公たちはそれまでの桂子に対する時間の投資――要するに、お金持ちのお嬢様の気まぐれに付き合ってやったことの見返りを、彼女の身体で回収しようとしたのだろう。
 しかし桂子はその環境の変化に意外な適応性を見せ、また、やくざやズベ公たちの方も遠山静子夫人や京子・美津子姉妹といった、桂子よりも価値の高い獲物が手に入ったため、桂子に対する締め付けを弱めたのだろう。
 桂子自身が演じるお桂が、この屋敷での桂子の微妙な立ち位置をそのまま表しているのかも知れない。
 町子がそんな思いに浸っている間に、お夏がその奇妙な台本を読み続ける。
「父の敵である津村清十郎を討たんと、姉弟は藩の許しを得て勇躍故郷を出る。とはいってもお小夜はすでに藩の重役の家に嫁入りが決まっており、文之助は殿の寵愛深い大事な身であるため、仇である清十郎を見つけたとしても軽挙妄動は慎み、すぐに国元か江戸屋敷から加勢を呼ぶように命じられていた。これは藩の師範代であった父を持つ文之助にとっては屈辱的な命令だったが、何せ相手は闇討ちとはいえその父を倒した相手。確実に仕留めるには命令に従うしかないと、お小夜は文之助を説得したのだった」
「随分長い前置きねえ」
 お春が苦笑するとお夏は「駒造さんの力作だもの。あの人、昔は戯作者志望だったらしいわよ」と答える。
 お小夜と文之助は唇を噛み、お夏の長ったらしい口上をじっと聞いている。
 お夏の読み上げる言葉、それはお小夜と文之助が敵討ちの旅に出た事情をほぼ正確に伝えるものであった。
 しかしながらお夏の妙な節回しとともに語られると、それはまるで陳腐な田舎芝居の筋書きのように聞こえ、自分たちの行為が貶められるようで、姉弟の屈辱感をいやが上にも高めることになるのだった。

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