1.山崎探偵の懊悩(1)

「それではどうあっても、依頼を受けていただけませんか」
「申し訳ありませんが、別口をあたられた方が良いです。うちの事務所にはもうそれだけの調査をこなす力はありません。それよりも警察には届けられたのですか?」
「警察など、あてになりません。いえ、あてになるのならとうに遠山夫人も見つかっているはずでしょう」
その男──医学博士であり、京都の名門華道千原流の有力な後援者でもある折原源一郎はすがるような目で山崎を見る。折原の表情には憔悴の色が濃く滲んでおり、顎には無精髭が目立っている。
「何でも良いのです。どんな小さなことでも。妻に関する手がかりがあれば」
山崎はじっと黙っていたが、折原の視線を受け止めかねたように顔をそらすと、ようやく口を開く。
「……わかりました、せいぜい心がけておきます」
「お願いします。こんなことになって──いったい、どうしたら良いのか」
足元もおぼつかない折原をようやく送り出すと、山崎はソファに倒れるように座り込み、深いため息を吐く。
源一郎の妻、折原珠江が千原流華道の後継者である千原美沙江と共に、新作生花発表会の最終日に姿を消して以来一週間が経つという。折原は行方知れずとなった妻の居所を探して欲しいと、山崎に依頼してきたのだ。
(手がかりか……)
そんなものがあればとっくに見つけ出している。今まで何もしなかったわけではないのだ。
山崎はポケットから煙草を取り出し、火を点けると改めて事務所の中を見回す。六本木の山崎探偵事務所は、かつての賑やかさが嘘のようにひっそりと静まり返っている。
テーブルにはうっすらと白い埃がたまり、接客用のソファには珈琲をこぼしたような染みさえある。折原源一郎が事務所に入るなり、その荒れた有様を見て思わず顔をしかめたのを山崎は思い出す。
先月、事務員に暇を出したため、事務所の整理をするものがいなくなっている。もっとも、新しい仕事もこれまでの山崎なら鼻も引っ掛けなかったようなつまらない浮気調査が二、三件入っているだけなので時間は十分にあるのだから自分で掃除をしたらよいようなものだが、そういった気力さえまったくなくなっているのだった。
(京子がいてくれた頃は、こんなことはなかった)
山崎は苦い思いで、助手であり恋人でもあった野島京子の二重まぶたのエキゾチックな美貌を思い浮かべる。
山崎の運命は、日本橋三越前で遠山財閥の静子令夫人が、山崎がふと眼を離している隙に誘拐されたあの日に暗転した。それまで警察を尻目に数々の難事件を解決してきた山崎にとっては考えられない失態である。
山崎は、静子の誘拐には遠山隆義の娘で静子の継娘でもある桂子が所属していた不良少女グループ「葉桜団」が絡んでいると考えた。京子は山崎のミスを取り返そうと、新宿にたむろする不良少女たちの内偵を行い、ついに静子が仲間を裏切ったことで私刑を受けた桂子と共に葉桜団の手の中にあり、暴力団「森田組」に売り渡される予定になっていることを突き止めた。
しかし、その後京子は、葉桜団の隠れ家を探ると言って出かけたまま消息を絶ったのである。
もちろん山崎は懸命に京子の行方を追った。しかしながら新宿を根城に活動していたはずの葉桜団はまるで煙のように姿を消してしまっており、彼女たちが接触しようとしていたはずの森田組の手がかりも一向につかむことが出来なかったのだ。
森田組はもっぱら秘密写真や映画の製作・販売を生業にしており、山崎が親しくしているその筋の関係者に尋ねても、実体は不明だった。京子の失踪後もまるで山崎の懸命の努力を嘲笑うかのように、京子の妹の美津子が同様に姿を消し、また美津子の幼なじみである村瀬文夫がその姉である小夜子とともに何者かの手によって誘拐された。
その後、文夫と小夜子の父親であり、四谷にある村瀬宝石店の社長である村瀬善吉に対して一千万円の身代金要求があった。店の信用と子供たちの身の安全のために警察沙汰にすることを避けた善吉が、村瀬家の遠縁でもあり腕利きの探偵としても知られていた山崎に対して捜査を依頼してきたのだ。
山崎は村瀬姉弟誘拐の犯人が遠山母娘、また野島姉妹をも誘拐した森田組だと直感した。それまで、静子や京子、美津子などの拉致してきた美女については、秘密写真や映画のスターとして商品化することによって儲けようとしていた森田組が、身代金の要求というやや荒っぽい手段を取ってきたのは山崎にとって事件を解決するための最大のチャンスだったといえる。
そこで山崎は森田組に対して勝負をかけるべく、事務所の人間だけでなく同業の仲間をも総動員して、受取り現場で万全の体制を敷いて待ち構えた。身代金の奪取に現れた犯人を逮捕、同時に静子や京子、そして村瀬姉弟を救出し一連の事件を一挙に解決しようとしたのである。
しかし山崎たちの前に、誘拐犯はついに現れなかった。あまりに大掛かりな網を張ったため、相手に気づかれてしまったのである。乾坤一擲の賭けは失敗し、山崎は探偵としての面目を完全に失い、また誘拐犯からの連絡もその後途絶えてしまったのである。
身代金を奪取し損なったのは森田組にとっても大きな失敗だった。これ以降森田組は再び地下に潜り、静子や京子、小夜子たちの肉体を金に換えることに専念したのである。

苦い過去を噛みしめていた山崎はしばらくじっと目を閉じていたが、やがて立ち上がり、デスクの中からテープレコーダーと分厚い封筒を取り出す。レコーダーのスイッチを入れると、スピーカーから懐かしい声が聞こえてくる。

――わ、私のいとしい山崎さん。貴方の命令で葉桜団に潜入出来ましたが、あるハンサムな青年と仲良くなり、昨夜、その方と私、肉の契りを結んでしまいましたの。そ、そして、その方のすすめで、これから、ヌードスターとして働くことにしました。その方は、私のバストもヒップもすばらしいとほめて下さりながら、私を一人前の女にして下さったのです。だから、もう貴方とは別れるわ。お別れのプレゼントとして、私が一番大切にしていたものを貴方にお送りしますわ。時々こっそり眺めて私の事を思い出して頂戴ね。あ、あんまり人に見せぴらかさないでね。だって、だって、私、羞しいのですもの――
このテープが、京子のものであると思われる陰毛とともに山崎の事務所に届けられて以来、どれほどの時間が経つだろう。
山崎はテープを入れ替える。今度はかなり長いものである。ピチャ、ピチャという猫がミルクを舐めるような音の後、切なげな女のすすり泣きが聞こえてくる。
(さ、京子――)
次に甘ったるい男の声が聞こえる。
(早くおねだりしてあげて、夏次郎がジリジリしてるじゃないの。フフフ)
しばらくハア、ハアと女の喘ぎ声が聞こえてきたが、やがて耐え切れなくなったような声がする。
(――な、夏次郎さん――)
京子の声だ。切なげに男に呼びかけるその声──山崎は何度聞いても胸がかきむしられるような思いになる。
(駄目よ、も少し、大きな声で。テープに録音しているのよ。それから、やっぱり、彼にも、あなたと呼ばなきゃ駄目よ)
わ、わかりました、と京子は素直に答える。
(――あ、あなた――お願い――京子の、京子の──)
オマンコをいじめて――という消え入るような声。同時に複数の男の含み笑い。京子は二人の男から淫らに責められているのだ。
(――京子は、空手なんかもう二度と使わないわ。こ、これからは可愛い女に生まれ変るわ。だ、だから、お願い。今夜は、今夜は京子をうんと可愛がって。ねえ!)
京子の催促するような甘い声。
(もう、山崎のことなんか忘れるわね?)

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