80.酒の肴(2)

 しかしながらやくざとしては二流以下だった森田は、それまで田代というスポンサーの屋敷に寄生する代わりにもっぱら彼の変質趣味を満たすための材料を提供することで細々と生きて来たのであり、警察や山崎の網にかからなかったのも無理もないといえる。
一方の田代社長と呼ばれる男、社長というからにはどこかの会社の経営者なのだろうが、探偵の妹とは言え普段はただの女子大生に過ぎない久美子は、中小企業に毛が生えた程度の土木建設会社の社長の顔など見たことはない。
静子の夫で、同じ業界で田代のものよりもはるかに規模の大きい企業を所有する遠山隆義ですら、田代とは面識はないだろう。経営者としての遠山と田代はまさに月とスッポンと言って良い。
田代は遠山夫人の静子をかつて業界のパーティで何度か見かけ、その美貌に痺れたことがあったのだが。が、静子の方は田代について全く見覚えがなかったのである。
まして田代とはこれまで接点もない美紀と絹代は、田代も森田ももちろん初めて見る顔である。
久美子を中央に、その両隣に美紀と絹代が立ち縛りの姿で固定される。銀子と朱美は三人の美女に、挨拶の要領を教え込むと、褌で締め上げられた久美子たちの尻を順に叩く。
「さ、用意は出来たよ。一人ずつ挨拶するんだ。まずは久美子からだよ」
さも楽しげにそう言う銀子に、久美子は口惜しげな視線をちらと送ったが、すでに限界に達している絹代のことを考えるとここは愚図愚図して時間を費やすことは出来ないと思い、口を開く。
「山崎久美子と申します。齢は21歳、女子大に通っており、探偵をしている兄の手伝いをしています」
「ほう、あのへっぽこ探偵の妹ってわけか」
川田が嘲笑するようにそう言うと、ホームバーに集まった男女はどっと笑いこける。
川田はかつて、小夜子の身代金を受け取りに向かった時、その場で網を張っていた山崎に阻まれ、ほうほうのていで逃げ帰ったことがある。
おまけに帰りに車を街路樹にぶつけ、同乗していた吉沢は全身打撲で全治一週間。その時に逃げ込んだ場所が現在、珠江を玩具にしている熊沢の一家である。
このために小夜子は「自分の身体で身代金の償いをする」という苛酷な運命を強いられた訳だが、森田組の側も一千万円という大金を手にする機会を逸した訳である。
そんな経緯で一度煮え湯を飲まされた山崎の妹を手にすることが出来たのだから、川田の機嫌が悪かろうはずがない。
「山崎の野郎、自分の情婦(いろ)だけじゃなくて、妹まで敵の手に奪われるとはなんとも間抜けな探偵だぜ」
吉沢も川田に追随するようにあざ笑う。吉沢もまた交通事故で一週間起き上がることも出来なくなったのを山崎のせいだと逆恨みしている。その吉沢にとっても憎い山崎の妹を手中に収めたというのは痛快時であった。
久美子は、この場にいる男女が兄の山崎に対して思った以上の敵意を抱いていることに慄然とする。拉致、誘拐、監禁、そして強制猥褻に売春の強要といった憎むべき罪を犯しているのは彼ら自身であり、それを摘発しようとしている山崎を憎むのは理不尽極まりない。しかしながらそんな理屈は彼らのような卑劣な悪党には通用しない。
「こ、今後ともお見知りおきのほど、よろしくお願い致します」
野卑な男女の笑い声を浴びている久美子は屈辱と怒り、そして口惜しさを噛み殺しながら挨拶を終える。
(笑っていられるのも今のうちよ)
あと何時間もしないうちに兄の山崎が、警察と共にこの屋敷に踏み込み、悪人共を一網打尽にするはずだ。のんびり朝酒を飲んでいるこの連中がこちらの意図に気づいているとは思えないが、事件を一気に解決させるためには、彼らが逃げないように時を稼がなければならないと久美子は心を決めるのだった。
「む、村瀬美紀と申します。年齢は45歳、どうぞ、お見知りおきのほど、お願い致します」
久美子に続いて美紀が、言葉を詰まらせながらも何とか気丈さを保って挨拶する。
田代のギラギラと光る目は、褌一丁の美紀の裸身に釘付けになっている。
「これが小夜子の母親か。さすがに娘に似て美しい。とても45歳なんて齢には見えないな」
「それを言うなら母親が娘に似たんじゃなくて、娘が母親に似たんでしょう」
千代が笑いながら混ぜっ返す。
「この奥様はあまり外にお出にならないから知られていないけれど、村瀬宝石店の令夫人と言えば知る人ぞ知る美女よ。一度遠山家にいらっしゃった時にお茶をお出ししたけど、あんな大きなお嬢さんがいるのにすごく若々しいので驚いたわ。それが今や褌一丁の素っ裸を私達の前に晒すなんて、本当に世の中はわからないものだわ」
千代は勢いがついたようにそんなことをぺらぺらしゃべり出す。
「ねえ、奥様。娘の小夜子さんや、息子の文夫さんがこの屋敷の中でどんな暮らしをしているのかご存じなの?」
千代は美紀に寄り添うようにしながら、わざとらしい猫なで声で尋ねる。
「……ぞ、存じませんわ」
「あら、まだお子様たちとは対面していないの?」
千代に顔を近づけられた美紀は嫌悪に顔をしかめながら首を振る。
「それはいけないわね。銀子さん、どうして会わせてあげないの?」
「別に会わせないつもりはないんだけど、昨夜は珠江夫人のところで思った以上に時間を食っちゃってね」
「鬼源さん、小夜子さんと文夫さんの今朝の予定はどうなっているの?」
千代は今度は鬼現に顔を向けて尋ねる。
「──さあ、言っていいものかどうか」
鬼源は意味ありげに微笑する。
「美紀夫人は可愛いお子様のことが気になるはずよ。ぜひ教えて上げて」
そんな思わせ振りな千代の言葉に、美紀の顔が見るむる青ざめていく。
またも千代の陰湿な嗜虐趣味が発揮され始めたと、ホームバーに集まった男女は一様に苦笑している。しかし田代も森田も、それまで褌一枚の屈辱的な裸身を晒しながらも、気丈な表情を保っていた美紀がそんな千代の言葉に翻弄され、たちまちおろおろとし始めたことにも痛快さを感じ、しばらくは場の進行を千代に委ねようとしていた。
「鬼源さん、千代夫人がああ言っているんだ。教えてやんな」
森田が促すと鬼源は「そうですかい、それじゃあ」と懐からメモを取り出す。
「えーと、何々。小夜子の方ですが、京子と美津子と三人で実演映画の撮影中ですな。井上さんたち撮影班に、義子とマリが手伝いに回っているはずですが」
「じ、実演映画って何ですか?」
美紀は不安と恐怖に顔を強ばらせながら尋ねる。
「大家の奥様は実演映画もご存じないのね。男と女がセックスする様子を撮影した映画のことですわ」
「な、なんですって!」
千代の言葉に、美紀は驚愕のあまり悲鳴に似た声を上げる。
「まあ、今日の撮影は女三人だからセックスと言ってもレズビアンだがね」
鬼源がそう言うと再びメモに目を落とす。
「えーと、それから文夫の方は昨夜からずっと春太郎と夏次郎から調教を受けてますな」
「まあ、とうとう春太郎さんと夏次郎さんの望みがかなったというわけね」
「あの二人、ずっと文夫にご執心だったから大喜びでしょう」
銀子と朱美が顔を見合わせて笑いあう。
「調教って……な、何のことですか」
美紀が不安に青ざめた顔を女たちに向けるが、女たちはニヤニヤと意味ありげな笑い顔を見せているだけだった。
「さあ、さすがにそれはちょっと説明しにくいわね」
「鬼源さん、奥様に教えて差し上げてよ」
鬼源はうなずくと、美紀に向かって「春太郎と夏次郎ってのはシスターボーイ、つまりは女も男も相手に出来る両刀遣いなんで。二人掛かりで文夫にホモの喜びをたっぷりと教え込んでいるところでさ」と答える。
鬼源の言葉に美紀は呼吸が止まりそうな衝撃を覚え、声を上げることも出来ずにいる。絹代と久美子もまたあまりのことに言葉を失い、茫然とするばかりだった。

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