4.蜘蛛の巣(4)

もしこれが毎回同じ男が送ってくるなどということがあれば、私は妻の不倫を疑うところですが、毎回違う男が送ってくるからそういった想像は頭に浮かびませんでした。そんなことが2カ月ほど続き、5月も終わり近い日曜日にまた妻の帰宅が遅くなりました。
いつもなら遅くても11時前後に帰ってくるところですが、その日は夜中の12時近くになっても妻からの連絡はありませんでした。日曜日ですから終電もなくなる時間です。私はさすがに心配になりました。
12時を少し過ぎた時、門の前にタクシーが停まる音がしました。私は急いで玄関に出ると扉を開けます。
「どうもすみません、ご主人」
タクシーのドアが開き、恰幅の良い男が姿を現しました。顔はテカテカと光っており、額が禿げ上がっているところがいかにも精力的といった感じを受けます。
「これほど遅くなるはずじゃなかったんですが、奥様が気分を悪くされて……少し良くなるのを待っていたらこんな時間になってしまいました。誠に申し訳ございません」
そういうと男は隣の座席からぐったりとした妻をズルズルと引きずるように引き出してきます。男の丁寧な口調とは裏腹に、妻に対する扱いが随分ぞんざいに思えます。妻は眠ってはいないようですが瞳はとろんとしており、肩で小さく荒い息をついていました。
「絵梨子、どうした、大丈夫か」
「あ、あなた……」
妻は一瞬私の方を見て何か言いたげに口を動かしましたが、すぐにがくりと首を折ります。男に抱えられるようにして眠りこけてしまった妻を、私は呆然と眺めていました。
「申し遅れました、私、犬山と申します」
「ああ、会長さんですか。絵梨子がいつもお世話になっています」
なんと男はA高校PTA会長の犬山でした。私は条件反射のように丁寧なお辞儀をしていました。
犬山は太い眉の下のぎょろりとした目を向け、まるで私を値踏みするように眺め回すとニヤリと笑います。
「いや、こちらこそいつも奥様には大変お世話になっています。ご主人にはご迷惑をかけて恐縮ですが、幸いPTA活動に大変理解が深い方と伺っておりますので、安心しております」
「そうですか……」
私は犬山がニヤニヤ笑いを湛えながらもたれかかってくる妻を抱き、片手で妻の尻の辺りを撫でさするような動作をしているのが気になります。
「あの……絵梨子を」
「ああ、そうでした。ついうっかりと。私もだいぶ酔っているようです」
そんなことでうっかりするなどということがあるでしょうか。私は犬山の態度にさすがに苦々しいものを感じました。
そういった気持ちが少し表情に表れたのか、犬山は急に神妙な顔付きになります。
「それでは、奥様を運びましょう。すみませんがご主人、足の方を持ってくれませんか」
「はい……」
道岡の時もそうでしたが、どうして妻の介抱の仕方まで指示されなければならないのかと不快な気持ちになります。しかし、酒に酔った妻をわざわざ送ってきてくれた犬山に強いことも言えず、言われた通り妻の足を持ちます。
「うう……」
身体が持ち上げられたとたん妻は苦しそうなうめき声を上げ、身を捩らせようとします。私はバランスを崩しそうになるのを足を踏ん張ってこらえました。
ふと上半身の方を見ると、犬山は妻の乳房に手を回し、やわやわと揉み上げるような動作をしていました。私がさすがに驚いた表情を見せると、犬山は大きな目を見開いて言い訳を始めます。
「いや……奥様が苦しそうにされたので胸元のボタンを外して上げようかと……」
「結構です。あとで私がやりますから」
これでは介抱しに来ているのか痴漢をしに来ているのかわかりません。犬山はホテルや飲食店を経営していると聞いていますが、PTA会長を務めるような品格は感じられませんでした。
しかしその時は、基本的には親切心でやってくれていることだろうと思って、あえて注意することはありませんでした。慣れない役員業務に就いている妻のことを慮ったからでもあります。
ようやく妻を玄関まで運び込みます。犬山はスカートの裾から伸びた妻の肢にちらちらと名残惜しそうな視線を向けていましたが、やがて私に挨拶して待たせていたタクシーに乗り込みました。
門の前で犬山を見送ると、私は家の中に入ります。玄関ホールで横たわっている妻が苦しげに何かつぶやいています。
「嫌……」
「どうした、絵梨子」
「……やめて……もう許してください……」
「何だって?」
「お願いです……もう帰らせて……」
「……」
私は妻の様子に異様なものを感じ、抱き上げて起こそうとしました。しかし妻はよほど疲労しているのか軽く揺すっても目を覚ましません。酒に酔って気持ちが悪くなっているのをこれ以上揺すぶっても良いことはないと考え、私はあきらめて妻を抱きかかえると寝室へ運びます。
意識のない人間をベッドに乗せるのは一苦労です。私はなんとか妻を寝かせるとブラウスのボタンを外します。
(……)
妻の胸元には赤い染みのようなものがいくつかありました。
(キスマーク?)
私は思わず妻のスカートをまくり上げました。足を開かせて内腿をチェックします。そこにはやはり同じような染みがいくつか見つかりました。
(どうして……)
私は焦燥感にとらわれ、妻のブラウスとスカートを完全に脱がせます。他にも染みを発見しようとしましたが、酔いのため全身が赤くなっているせいか、見つかりませんでした。
今夜一体何があったのか妻に確認したかったのですが、すっかり眠りこけている妻を起こすのはかわいそうに思えましたし、これだけ酔っている状況では何か聞き出すのも至難の業のように思えました。
私は諦めて眠ることにしました。しかし目をつむると色々と悪い想像がはたらき、かえって目が冴えて来ます。結局朝までほとんど眠ることができませんでした。

翌日は月曜日です。明け方にようやく少し眠った私が目を開けると、隣の妻のベッドは空でした。
ダイニングに行くと妻が食事の支度をしており、私を見て「おはようございます」と、にっこり笑います。
「おはよう」
私は妻の様子を観察しますが、特に変わったところはありません。いえ、むしろいつもの朝よりも陽気に見えるところが変わっているとは言えます。
「昨日はすみません。またみっともないところをお見せしてしまって、あなたがベッドまで運んで寝かせてくれたですね。ありがとうございました」
そう言うと妻はペコリとお辞儀をします。
「ああ……それは別に構わないが」

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